2022年10月10日

LAMB ラム/ 「佯」【音読み:ヨウ 意味:@いつわる。だます。みせかける。Aさまよう。】

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オフィシャルサイト

※いろいろと触れています

オープニング、クリスマスにして懐胎の夜(まあそういうことなんだろう)を睥睨する主観映像を網膜に刻んでおきさえすればこの物語を支配する理(ことわり)を見失うこともなかったわけで、「禁断(タブー)が、生まれる」という惹句の品のないミスリードのおかげでアダ誕生の瞬間になぜマリア(ノオミ・ラパス)はイングヴァル(ヒルミル・スナイル・グドゥナソン)の超自然的な不貞を疑うことをしないのかと、品のないワタシはいぶかしげな目つきを誘われたことに軽い苛つきなどおぼえたりもしたのだ。しかし、その後ごく緩やかに明かされていく夫婦の深く静謐な哀しみの理由を知るにつれ、夫妻が一も二にもなくアダをわが子と溺愛する姿も、人知れず手に取ったライフルでマリアがおこなった凶行も、アダという幸福の妖精による催眠的な酩酊のうちにいつしか囚われてしまうわけで、それに耽溺しきったワタシたちはラストで鉄鎚のごとくふりおろされる彼方からの理によってどんでん返しのように天地を逆転されてしまうこととなる。その理とは冒頭の主観映像の視点の主である羊男がその血を繋ぐために施す托卵の行為に他ならず、その半羊半人の成り立ちゆえ雌羊にはおぼつかない赤子の生育過程を人間に託して巣立つまでの時間を、そんなこととは露とも知らぬお人好しのワタシは同じようにつけこまれた夫婦と共にアダの時間として見守っていたわけで、羊男によるイングヴァル殺しはマリアによる雌羊(アダの母)殺しの代償ということになるのだろうし、マリアの命を奪うよりは彼女の愛する者を2人同時に奪い奈落の孤独へと突き落す母殺しの罰は、羊男の世界においては当然にして最上級に苛烈な量刑であったに違いない。にも関わらず意外なほど後味として鉛玉を食らった気がしないのは、羊男にとってはごく自然な摂理が人間の絶望や哀しみを一顧だにしないまま遂行されていく冷徹の清々しさに加え、なにより人間の卑しい好奇に晒されぬままアダが真の人生に戻っていく後姿にハッピーエンドを見た気もしたからで、この国にあって件(くだん)の悲しく呪われた運命を知る身としてそれはなおさらなのだった。
posted by orr_dg at 19:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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