2022年09月07日

NOPE/ノープ/そんな目でおれを見るなよ

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オフィシャルサイト

ストレンジフルーツ・ホラーとでも呼べばいいのか、アメリカで黒人として生きることそれ自体がホラーなのだというその恐怖を悪夢のメタファーで描いてきたジョーダン・ピールが、それらにより暗喩の深度と洗練を施すことで、例えば『トレマーズ』的な表層で成立させることもスレスレで可能なラインを狙ったアクロバットによって、何かであって何かではない全体性の領域に図らずも近づいたあげく、禁忌の香る時空の裂け目を縫い付けて閉じるラストにはこれまでにない清々しさが満ちていたように思うのだ。OJ(ダニエル・カルーヤ)は、ビジネスのため白人相手にへりくだる父オーティス(キース・デヴィッド)に交錯した感情を抱いていたのかもしれず(あらかじめ目にコインが突き刺さると言う完璧な死者を見つめるオーティスの透徹)、必然的に白人が雇用主となる職場で相手の目を見て話すことをしないOJのそれは処世術であると同時にある種のレジスタンスにも思えたわけで、見なければ喰われないというGジャン(ジュープの言葉を借りるなら"the Viewers")に対する対処法をOJがいち早く手に入れた流れと、しかし見ることをしなければ倒せないというジレンマを妹エメラルド(キキ・パーマー)のピンチを救う咄嗟の行動で乗り越えて以降、この兄妹のコンビネーションがGジャンを退治するまでのストレートなガッツと熱量はジョーダン・ピールの新たなナラティヴにも思えたのだ。一方、その視線の呪いにおいてOJと対比して描かれるジュープ(スティーヴン・ユアン)は、かつて自分が見たあまりに圧倒的ゆえ世界の絶対値として映った暴力、それも人間以外の存在によって施されたがゆえ理解のブレーキの外れた純度の高い一発に自分の人間の奥底を破壊された男として生き続け、生と死が交錯した瞬間の絶望とはほど遠い昂揚と恍惚の正体を"the Viewers"(あの時ヴィニールクロスの向こうから彼を見つめたチンパンジーを彼に呼び起こしたのは言うまでもない)に見つけようとしたのではなかったか。しかしジュープはその動機と視線のよこしまにおいて逆襲され葬られなければならない運命にあるわけで、その姿は幸福な殉教者として描かれるホルスト(マイケル・ウィンコット)との対比においても念押しされジョーダン・ピールの切り裂くような潔癖の証左に映った気もしたのだ。近年の『すべてが変わった日』や『イエローストーン』『アウターレンジ』などにおいて、愛と暴力に裏打ちされた現代西部の正義をネイキッドなアメリカの再定義と試みる潮流が確実ある一方、決して牧場主にはなれない有色の者たちが周辺で馬を調教し代替えとしてのテーマパークを興すその姿をジョーダン・ピールはアメリカのエレジーとして綴ってもいて、だからこそ生き残ったOJには笑顔を、生き残れなかったジュープにはほんの一瞬の安らぎ(ああ全てはそういうことだったのか)を最期の瞬間に与えたように思うのだ。小さかったころ熱を出すたび、布団のような四角いものが次から次へと飛んできては自分に覆いかぶさってくる悪夢を見たことを、最終形態のGジャンが憤怒であらわにした口吻を見て久しぶりに思い出し、昨日見た夢も覚えていないのにそんな数十年前の夢をずっと忘れずに覚えているのは、自分の記憶の中で走馬灯のための取捨選択は既に終わっているのかもしれないなと、この映画の後味と相まって切なくも澄んだ気持ちになったりもしたのだった。
posted by orr_dg at 03:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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