2022年08月07日

ブラック・フォン/ハローハロー、ハウ ロウ

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オフィシャルサイト

ソリッド・シチュエーション・スリラーとしてそのほとんどはフィニーが地下室に放り込まれて以降の時間で推移するジョー・ヒルの原作に、スコット・デリクソンとC・ロバート・カーギルが書き加えたブレイク家の物語、特に姉から妹へ書き換えられたグウェン(マデリーン・マックグロウ)の造形とその獅子奮迅の活躍によって、まるでスティーヴン・キング原作であるかのような必殺の泣き笑いで走り抜けるメメント・モリを手に入れたことで『デビルズ・バックボーン』にも通じるゴースト・ジュヴナイルの傑作へとたどり着いている。状況のエッヂを立たせるよりは状態のテクスチャーを敷き詰めるにおいて才を発揮するスコット・デリクソンにあっては、このジョー・ヒルからスティーヴン・キングへの脚色は狙ったというよりはスタイルの成立が連れてきたごく自然な結果に思われつつ、「パートリッジ・ファミリー」「悪魔のいけにえ」「燃えよドラゴン」「ティングラー」「チーチ&チョン」といった時代のシグネチャー使いもいつしかキングのセンチメントを息づかせて、そもそもこのジャンルに殉じた者でキングの子供たちでないものがいるのかというリスペクトフルな問いかけにも思えたりもしたのだ。一見したところ自身の屈託をアルコールと虐待に吐き出すタイプにも思えた父テレンス(ジェレミー・デイヴィス)も、彼が核兵器工場で働いていることや、彼の読む新聞の軍人年金に関する記事のインサートによって、復員兵としての過去とその影が彼や今は亡き妻にしてフィニーとグウェンの母を覆ってしまったのかもしれない背景をしのばせたあたり、共闘する兄妹が子供たちの敵に復讐する物語の悲観と楽観の余白として有効に作用したのではなかろうか。その行為以外に背景めいたことが描かれないグラバー(イーサン・ホーク)を、トム・サヴィーニ謹製のマスクをかぶりフィニーが罠にかかるのを待って椅子でうたたねする時のはだけたシャツからのぞかせた邪悪のみっちりとつまった腹の、しかし滑稽な曲線の一発で人外の底知れぬ始末の悪さだけを底上げする監督と俳優の企みに顔もほころんだし、かつては蛇蝎のごとく嫌われるその爬虫類性で忘れがたかったジェームズ・ランソンもここしばらくはヒールから転じたところで彼の本質に沁み入ることも多かったのだけれど(たとえば『囚われた国家』)、ここではコメディ・リリーフとしてあちらとこちらをノンシャランに行き来することで、子供たちが痛めつけられる物語の陰鬱を絶妙に晴らしてみせて影のMVPとなっていたのは間違いないだろう。そして何より、この世界から連れ去られ消えていく子供たちの魂を鎮めるために、すべての子供たちの復讐を請け負ったフィニーがグラバーを叩きのめすその姿を爽快な熱情で描く勧善懲悪の昂揚があるからこそ、イーサン・ホークは両義性の言い訳などない純然たるヴィランに身を任せたのではなかったか。その手を封印したかと思われたところで炸裂するジャンプスケアに思わずくぐもった声が漏れたその瞬間、MCUで縛られた両手両足を存分な自由で振り回すスコット・デリクソンの浮かべる満面の笑みが透けたように思えたのだった。繰り返すけれど傑作。
posted by orr_dg at 22:41 | Comment(1) | TrackBack(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
当時この作品をレビューされているのを読んだ後、慌てて新宿に見に行きました。傑作でした。
またいつか帰ってきてくださるのを待っています。「シビル・ウォー アメリカ最後の日」きっとお好きだと思います。
Posted by あき at 2024年10月14日 19:19
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