2022年08月06日

X エックス/この道はいつか逝く道

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私にふさわしくない人生を私は認めない、と呪文のように繰り返すマキシーン(ミア・ゴス)の、単なる上昇志向というよりはここではないどこかを手に入れることの性急な希求へ何が彼女を駆り立てるのか、物語の最後に彼女がキリスト教原理主義者の宗教二世であり、そこからの逃亡者にして反逆者であることが明かされつつ、老婦人パールが次第に隠さなくなるマキシーンへの執着が、世界がふりかざす不可抗力によって人生を狂わされたことへの屈託と怒りにおいてマキシーンに感応したパールの暴走する共鳴であったことが告げられていく。レモネードのシークエンスでパールがマキシーンを認めて以降、カットバックやスプリットによって二人が潜在的な鏡像であることを、あくまでパールの妄想の産物として観客に示すことでテラーとサスペンスを維持しつつ、なぜマキシーンはああまで苛烈なやり方でその鏡像を破壊しなければならなかったのかを最後のワンカットでバラし、これって(パパも言ってる)聖なる干渉(Divine intervention)ってやつよねと口元をほころばせるマキシーンに、『パール』をプリクエルとする3部作のシークエルを見ることはたやすいだろう。どちらかといえば一撃で屠られるクルーの面々に対し、嬲るように息の根を止められる監督のRJ(オーウェン・キャンベル)はジャンルムーヴィーをアートムーヴィーに再構築(という名の偽装)するお題目を掲げた間抜けなスノッブと描かれて、そんなあてこすりをA24作品に刻印しつつひたすらスラッシャーに徹する一方で、怪物の深淵をのぞかせてはその呪いを解こうとする試みによって、老いさばらえたかつてのファイナル・ガールと若くして自覚なきファイナル・ガールがいつしか不倶戴天の敵として激突するラストに至っては、タイ・ウエストの新たな野心とその更新の高みとして諸手を挙げて讃えるしかなかったのである。すでに『パール』も傑作の予感しかしない。
posted by orr_dg at 14:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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