2022年07月19日

エルヴィス/ぼくもプレスリーが大好き

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オフィシャルサイト

レイス・ミュージックであったブルースと、アイルランド/スコットランド移民から生まれたカントリー・ミュージックの融合が生み出したロックンロールを爆発させたエルヴィス・プレスリー(オースティン・バトラー)が、そもそもその最初から、黒人と移民という外縁からの未知で新鮮な刺激をエスタブリッシュが消費する搾取のシステムに囚われていたことをその悲劇としつつ、爆発するロックンロールの体現者としてのエルヴィスとグロテスクなシステムの体現者としてのトム・パーカー(トム・ハンクス)を契約された父子として描く試みは、たとえ一面的なカタルシスを手放すことになったとしても、それはエルヴィスの人生に対して尊敬と忠実を手放さないための誠実な回答であったように思うのだ。尋ねれば、おれはあの日聴いた「ザッツ・オールライト・ママ」を、あの日見たアーサー・クラダップみたいに歌いたかっただけなんだと答えるだろうエルヴィスがアメリカの宿命である父殺しを果たせるはずもなく、それを見抜いていたパーカー大佐もまた自身の境遇ではたどり着けるはずもないアメリカンドリームの欺瞞を知ればこそバックドアをくぐり抜ける術に長けるしかなかったわけで、世界中から責め立てられたパーカー大佐が絞り出した、私が彼を殺したわけではないという独白の苦渋に同情はしないけれどそれを理解はしたいとワタシは考える。パーカー大佐に命じられた“政治的な”対応への回答に窮したエルヴィスが思わず足を向けたメンフィスのビールストリートで、まるで凱旋した地元のヒーローを迎えるように色めき立つ黒人たちからの「きゃあ!エルヴィス」「よお、エルヴィス」といった声に気の置けない風な身のこなしで応えながらBBキングのいるクラブ・ハンディへと向かうエルヴィスの、おそらくは劇中で最も颯爽と軽やかな足取りこそが彼の幸福な真実の姿であったことをバズ・ラーマンは伝えたかったように思ったし、彼にとって人種は越えるべき壁でも渡るべき分断もでないその屈託のなさこそが彼にスペシャルをもたらしたと同時に、壁や分断をシステムとする人々にとっては底知れぬ脅威であったこと、そして彼はその両者が出くわしたクロスロードにひとり立って歌っていたことをもっと人々は知るべきだとも考えたのだろう。エルヴィスが夭折した1977年は大西洋の向こうのイギリスでセックス・ピストルズが彼の死から3ヶ月後にファースト&ラストアルバムをリリースした年であって、エルヴィスがRCAと契約して「ハートブレイク・ホテル」「ハウンド・ドッグ」「ラヴ・ミー・テンダー」などを片っ端からチャートの1位に送り込んだ1956年から20年の間にビートルズから何から「いろんなことが同時におこった(ボブ・ディラン)」そのあとで「ロックは死んだ(ジョン・ライドン)」ことにされたのは果たして偶然だったのか、誰が言ったのだったかロックとは疲れた身体に宿る昂揚した精神のことだという言を借りるなら(レニー・クラヴィッツはそれをA burning heart and tired eyesと歌っていた)、最期となったステージでピアノに磔となり冷たい汗をしたたらせながら恍惚とした眼差しで「アンチェインド・メロディ」を絶唱し終えたその時をもってロックは死んだのだと、陳腐で薄っぺらいばかりに思えた物言いに熱く赤い血が漸くにして通った気がしたのだった。
posted by orr_dg at 03:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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