2022年05月31日

トップガン マーヴェリック/地球に飛んで来た男

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オフィシャルサイト

エスタブリッシュメントでオール・アメリカン・ボーイな、わけても『タップス』の役柄のその先でアメリカの国威発揚を引き受けた(ように見えた)トム・クルーズと、ケニー・ロギンズがひたすらデンジャーな機能美をシャウトする主題歌もあって、“太陽は僕の敵”だった1986年のワタシの射程に前作が入り込む余地があるはずもなく、誰だったか友人の家でTV放映の吹き替え版を断片的に見た程度で特段の思い入れもないまま今に至り、今回きちんと正対して見直したとて、かつて敬遠した自分を責める理由も特に見つからなかったのが正直なところに思えたし、この時はまだ、トム・クルーズという俳優が若きジョン・ウェインとして星条旗のマスコットとなるキャリアを一蹴し、作家性の強い監督をチョイスしてはその要求に応えることで自分の上限と下限と押し拡げながら、アートとビジネスを両輪に映画を人跡未踏の地へと走らせる馬力とスピードを手に入れる存在となることなどうかがい知れるはずもなかったのだ。そんな類の観客が今作を観てまず思うのは、前作でトム・クルーズを燦々と照らした太陽は今や西へと翳って悔恨と感傷の影を作り出すに過ぎず、しかしトム・クルーズはその太陽の角度も影の濃度も深度もすべてを把握して計算した上で、完璧なメランコリーをアクション映画としてデザインするという高みに挑んでそれを間違いなく達成したように思ったのである。ところでこれが戦闘機乗りの物語である以上敵は確実に存在するわけで、そのあたりの思想や信条については前作に引き続き曖昧にはぐらかしはするものの、今作において極めて重要な役割を果たすF-14がなぜアメリカから遠く離れたあの地にあったのか、前作が公開された1986年に全米を揺るがしたイラン・コントラ事件を思い出してみれば、その皮肉がアメリカに向けられていることに気づかされることにもなるわけで、これがその壮大で茫漠とした国を挙げての徒労の中で命を散らし続けるアメリカの若者たちに捧げたレクイエムとしてあるからこそ、マーヴェリックはチーム全員を帰還させるために我が身を差し出すことも厭わなかったのだろうし、ジョセフ・コシンスキー監督の前作『オンリー・ザ・ブレイブ』もまた“アメリカ”に殉じた者たちへの静謐で荘厳なレクイエムであったことを思いだしてみれば、トム・クルーズによって半ば封印されていたこの続篇がコシンスキーの手に委ねられた理由がうかがえる気もしたのだ。自分もまたいずれ消えゆく存在であることはわかっている、しかしそれは今ではないと、そのプライドと挟持をマーヴェリックに語らせたトム・クルーズではあったものの、それと同時に、夕暮れのサーキットの最終コーナーに突っ込んでいくキャリアのゴールを初めて意識させたそのメルクマールが黄昏を黄金のように輝せてなんだか切なくて仕方がないまま、あの笑顔に目が眩む。
posted by orr_dg at 18:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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