2022年05月24日

夜を走る/飲んだら殺るな

yoruwohashiru_03.jpg
オフィシャルサイト

何か決定的な分水嶺があったとしたらそれは、連絡先を教えてくれませんかと秋本(足立智充)が橋本(玉井らん)に尋ねた瞬間であったように思え、それまで描かれてきた秋本の像にはまったく似つかわしくないその積極性はそれだけ彼の決死の覚悟ともいえる一歩であったにしろ、望まねば裏切られまいという選んだつもりもないのに選ばされた生き方の中でずっと息を殺してきた秋本が、灯りとすら言えない光明に目を向けた瞬間、すべての均衡が狂い始めることとなる。洗車機に入った車それ自体は動かないものの、ゲート式のブラシが前から後ろへ移動することで車内からはまるで車が動いているように思える錯覚は谷口(玉置玲央)の幼い娘が口にしたそのままで、それは劇中で唯一秋本が自分の考えを自分の言葉で吐露した「自分は何も変わらないのに回りがどんどん変わっていく」というセリフの言い換えであると同時に、その洗車機のシークエンスが最初と最後とで円環する構成からすれば、希望にも至らないほんの少し明るい方へ身じろいだ者に与えられる罰とそれを与えるこの国のディストピアが、善悪というよりは精神の高低もしくは大小によってその横顔を変えながらまるで洗車機のブラシのようにやって来ては消えていくのではなかったか。そうやって無慈悲と絶望のブラシで精神の表皮を削られ続けた秋本が知らず剥きだされた自分に無垢の一触れを受けた時、善く生きようとすることで本性を完成させようとする意志が人間を人間たらしめているのだと、既に手遅れとなった人生にうずくまりながら気づくわけで、何も知らぬまま無痛で消滅することすら許されない秋本がその後に示す遁走の空白がただひたすらに切なくて仕方がない。しかし、その先に絶望だけがあったとしても一瞬の反転がほどこされた秋本にくらべ、欺瞞を如才のなさと言い換えるだけの谷口を待ち受けるのは永遠に続く生き地獄であって、彼が知らぬままその欺瞞も如才のなさもあっさりと妻の美咲(菜葉菜)に更新されていることを知るワタシたちの目には谷口家が偽装する幸福の姿がどう映るのか、ヴィデオ撮りしたホームムーヴィーのように画質も色合いも皮相なラストショットがまとう昏睡した白昼夢の寄る辺のなさは、一介のホラーフィルムを軽々と凌駕したように思うのだ。映画でも現実でも善行は静的に悪事は動的に行われることわりから、殺人や暴力が映画のダイナミズムと相性が良いことは今さら言うまでもないにしろ、あらかじめ帰る家の用意されたお仕着せを一蹴するこの地獄巡りからどうしてこうも目が離せないのか。狂気のバタフライエフェクトが紡ぐ因果がいつしか地獄の底さえ突き抜けるラインを描くのは、ここで行われるすべての行為から自己憐憫と断罪を排除することを監督が自身のダンディズムとして貫いていたからであったように思うのだ。罪とか罰とか言えなくなったところから本当の地獄が始まることを、そしてそれがこの国の原風景となりつつあることを、この怪物の無邪気な寝返りのような映画はあっけらかんと捉えてしまっている。異形の傑作。
posted by orr_dg at 16:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。