2022年05月12日

ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス a.k.a. スペル 2

DSMOM_01.jpg
オフィシャルサイト

愛とか恋とかいうよりは無自覚な父性の感情に衝き動かされてある女性の側に立ち、その彼女のナヴィゲートによる地獄巡りを経ることで、男も彼女もそれそれが自身の呪いを解いていく話と言えば、そのあらかたが『ドライブ・マイ・カー』に思えたりもしたのだ。そんな喪失と再生の物語において、愛されたり愛したりすることを厭うわけじゃない、怖れてるんだというストレンジの独白こそは子供じみたMCUの男たちの行動原理であったのかもしれず、ならばその恐怖と向き合いなさい、と間髪入れず返したクリスティーンの毅然は、彼らの尻を蹴り上げ続けたMCUの女性たちそのものであったといえるのだろう。一方で、新しいフェーズにおいてサノスに匹敵する仇敵の気配もいまだ見えぬ中、かつて繰り広げた闘いに生き残った者たちがその代償として引き受けた呪いそのものが敵として立ちふさがるのは『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』も同様で、そうした自家中毒の矛盾としてのワンダを仮想敵とするリスキーな物語の要請に対し、MCUのというよりはあくまで“スコット・デリクソンが監督した『ドクター・ストレンジ』”の続篇として、呪いに胸を貫かれた怪物の愛と狂気を敷き詰めるために自分は駆り出されたのだろうとサム・ライミが理解したのだとすれば、スナップオンで組み立て可能なプラスチックモデルのようなMCUのモダンな軽やかさに比べ、アイリスやオーヴァーラップといったクラシカルな技法を接着剤にして隙間なく組み上げた鈍色の塊がいかに異質でありながらも確信的であったか、ラストガールとしてのアメリカ・チャベス(ソーチー・ゴメス)を生き残らせるためなら、ワンダだろうが誰だろうがすべてを焼け野原にするのは当然だろうと薄っすら浮かべた笑みさえ透けて見えた気もしたのだった。ファイギも笑っているかどうかはわからないけれど。
posted by orr_dg at 20:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。