2022年05月02日

カモン カモン/永遠なんかいらない

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「録音が好きなのはさ、このいろんな音が永遠に消えてしまわないようにできるからなんだ」とジョニー(ホアキン・フェニックス)がジェシー(ウディ・ノーマン)に問わず語りをした瞬間、「いま自分が見ているこの瞬間のこの光景を、いつまでも自分のものとして持っていたいと願うこと。それがペシミズムの出発点だ」という片岡義男の言葉を想い出して、中年の大人と9歳の少年の関わりで避けがたく起きてしまう齟齬の芽は、ペシミズムに捉われた者といまだ自由な者とのコミュニケーション不全であったことに気づかされたように思うのだ。過去現在未来という時間の連なりを人生と学習した大人は、現在が失われれば過去も未来も壊滅してしまうという判断の切実さで、未来のために過去の経験を駆使して現在を維持しようと腐心するけれど、人生という概念とその維持という命題から自由な子供にそのロジックの理解を求めるのはほとんどエゴイスティックな行為ですらあって、劇中でジョニーのチームが行うアメリカの様々な子供たちのインタビューにおいて彼や彼女たちが精一杯語る誠実で懸命な言葉の数々に耳と心を奪われてしまうのは、それがペシミズムを寄る辺としない精神から湧き立ったものであるからこそ、もはやペシミズムから逃げることのできないワタシたちは憧憬に近い共感を無意識かつ無条件に抱いてしまうのではなかったか。してみれば、ジェシーとの邂逅がジョニーにもたらしたのが、たとえペシミズムと訣別できないとしてもその在りかを知りそれと向き合い飼い馴らす術であったことは、たとえ思った通りの未来にならなかったとしても(だからといってあなたの現在や過去を否定することなんかない)、ただひたすら先へ進めばいんだよ、さあ、わかった?というジェシーの言葉を啓示のように宿らせた点においても明らかだったように思うし、現実から色や温度を抜いて存在の意志だけをその濃淡で綴るモノクロームが生活の手触りよりは宗教的な静謐を誘い続けたのも、これがジョニーとジェシーを包んだ小さな宇宙で起きた全体性の物語であることを謳うためだったのだろう。いつの日か子供たちがペシミズムに捉われるのだとしても、それは彼や彼女が自らそれを知るべきでワタシたちがそれを継承させることだけは断じてあってはならず、ここに出てくる大人たちは必死にそれを持ちこたえていて、それはもうニューオーリンズのパレードの最中、熱気と寝不足と大音量の中で踊る子供を背負いながら練り歩き、ついには気絶してしまうくらいなのだった。
posted by orr_dg at 22:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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