2022年04月07日

TITANE チタン/E=mc2

titane_01.jpg
オフィシャルサイト

モーターオイルが体内をかけめぐりチタンのプレートが頭蓋から子宮へとクロームの輝きを増すにつれ、マンマシンもしくはサイバネティクスの宣言体に見えたアレクシア(アガト・ルセル)は、車への偏愛を失うと同時に殺人と暴力の衝動も手放していく。しかしそれは彼女が宿した母性の証というよりも、怪物的な愛情を災害的な肉体に宿したヴァンサン(ヴァンサン・ランドン)との出会いがもたらした変容であって、エンジン音とのハーモニー遊びにふけるアレクシアを彼女の父親が拒否することですべてが始まったことを思い出してみれば、頭蓋骨に埋め込まれたチタンは愛情を欠いたままの世界に彼女を閉じ込めたに違いなく、愛を自称する感情が自分に向けられた時、彼女が本能的かつ無意識に求め続ける愛とそれら感情との違和と軋轢がアレクシアにその感情は偽だと伝え破壊を促してきたのだろう。事故にあった時のアレクシアの年齢は特定されないながら、その年格好をヴァンサンの息子エイドリアンが行方不明になった時の7歳という年齢に重ねるのはたやすく思え、してみれば、かつて致命的に無償の愛を失ったアレクシアと無償の愛を与える相手を奪われたヴァンサンの邂逅は、もはや呪いと化した愛に苛まれては咆哮する2匹の怪物が絡み合い、それぞれの牙や爪を相手の鞘に納めて異形を閉じることで人間だった頃の幸福を想い出す再生の手続きともいえたはずで、ヴァンサンの元妻(ミリエム・アケディウ)が、エイドリアン=アレクシアの正体に気づきながらヴァンサンとアレクシアの関係をむしろ積極的に是認するのは、それがどれだけ行き先知らずであるとはいえ、その共依存の愛情にしか元夫の幸福は見つからないことを一瞬にして理解したからではなかったか。『RAW〜少女のめざめ〜』もまた、この世界でたった一点だけ曇りのない純度で存在する愛のありかにたどりつくハッピーエンドだったことを思うと、ここでジュリア・デュクルノーがアレクシアとヴァンサンに託した、愛とそれがもたらす人生を肯定することへの爆風のような飢餓と貪欲に吹き飛ばされる爽快は肉体的な快感すらを覚えるわけで、あえて名前をあげる無粋はしないけれど、それはジュリア・デュクルノーが血肉としたリファレンスを産み落とした監督たちがかつて掲げた、精神が肉体を変容するのではない、肉体が精神を変容するのだという宣言の最新の行使であったように思うのだ。そしてジュリア・デクルノーがここで捉えた、空間に占有する肉体の質量とそれが等価に交換するエネルギーの熱狂的な関係はアインシュタインが仮説した世界の法則を叫んだかにも見えたのだ。舌の根も乾かぬうちに先ほど書いた無粋をしでかすのは承知で、裏返った現実がもう一度裏返った時に極北で最適化される現実の目論見として、三池崇史『牛頭』がゆらっと立ち上がったことは記しておきたい。
posted by orr_dg at 20:05 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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