2022年04月04日

ベルファスト/月より遠くきみのとなりへ

Belfast_02.jpg
オフィシャルサイト

バディ(ジュード・ヒル)が知っているのはカトリックとプロテスタントは仲が悪いということで、ではその人たちは何が違うのかというとどうも告解をするかしないかのようだという9歳の少年の理解を答えに、不条理やメランコリーというあきらめの色眼鏡をかけずに眺める世界の囁くような息づかいや苛烈な身のこなしを一人の少年の発見と体験の記憶として描くことで、あの年のベルファストとブラナー家に流れた優しさも暴力もそのすべてが等しく均された時間はいつしか普遍を手に入れて、曖昧だった感情にまた一つ新しい名前がついた気もしたのだ。バディがTVで見ている『リバティ・バランスを射った男』や『真昼の決闘』といった西部劇の重層的な正義を貫く主人公は、アイルランドのアイデンティティよりも家族の幸福を最優先する父親の投影でもあったことは、『真昼の決闘』でやるべきことを為すため町に残るというゲイリー・クーパーにわたしは待っていられないと詰め寄るグレース・ケリーのシーンを、バディの父(ジェイミー・ドーナン)と母(カトリーナ・バルフ)が家族の行く末について電話でやりあうシーンに重ねたことにも見て取れる一方、カトリックの経営する雑貨店の略奪騒ぎに巻き込まれてわけもわからず商品の洗剤を持って帰って来たバディを、いまだ暴動の真っ只中にある店まで有無を言わせず引きずっていっては「今すぐそれをそこに返しなさい。今度こんなことをしたらお前を殺すからね」と烈火の如く怒鳴りつける母は、子供たちが日々の人生をまっすぐ健やかに歩くためにはいかなる献身も厭わない愛情の人として描かれて、かつて闘争の歴史において暴力と流血の代名詞となったベルファストにあの時生きていた人々が、いかにして愛を育みそれを慈しんでいたことか、自身にとっての揺るぎない過去であり記憶であり何より故郷であったベルファストを語り直すことで、ケネス・ブラナーはかつてそこに存在したすべての人たちを正しい時間に正しい場所に生きた人として鎮魂することを願ったのは、それを託す象徴として選んだ祖母(ジュディ・デンチ)の透徹した眼差しを捉えたしめやかで静謐なラストショットに明らかであっただろう。生活とは時間でそれは一方的に先へ先へと進むばかりでそれを受け入れるか抗うかを選択することしかワタシたちには許されておらず、時間をそこに止めおくことへの執着はペシミズムしか生み出すことはないわけで、「さあ行きなさい、ふりかえってはだめ」という祖母のモノローグと、その視線の先ですでにロンドンへと心が向いたかに見える車内のバディの無情にも映る対比こそは、ワタシたち人間が生きることの原罪のようにも思え、ジュディ・デンチのクロースアップがいまだ目に焼きついて離れないまま、あとどれだけ自分は前を向いて生きていけるだろうかとずっと自問を促されている。
posted by orr_dg at 01:51 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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