2022年03月06日

ゴヤの名画と優しい泥棒/絵に描いた餅を喰え!

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ウクライナを舞台にした物語を想い出しているうちに、ユダヤ系ウクライナ移民の血筋にあるリーヴ・シュレイバーが監督した『僕の大事なコレクション』とその原作の「エブリシング・イズ・イルミネイテッド」が頭に浮かんで、やはりウクライナ移民の家系にあるユダヤ系アメリカ人の原作者ジョナサン・サフラン・フォアはその出自を補助線に、ウクライナとユダヤとナチズムの屈折した三重クロスをポップでシニカルなダイナミズムで解題してみせているのだけれど、自身の創作スタイルともなっている「ユーモアだけが、悲しい話を真実として伝えられる」という彼の言葉が、この映画を観たあとであらためて沁みわたったりもしたのだ。1961年のケンプトン(ジム・ブロードベント)が暮らすニューカッスルの街に活写される猥雑なヴィヴィッドに、『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』の冒頭スケッチで描かれるアンニュイ=シュール=ブラゼの街角が一瞬重なって見えて、コメディとスラップスティックの質は違えど「絵画」「反乱」「誘拐」の三題噺が連れてくる仄明るいメランコリーと、悲しみをくぐった者だけがたどり着く共助の風景に、図らずもウェス・アンダーソンの奥底までが垣間見えたようにも思えた。幸福が世界との同化だとするならば、悲しみは世界との余儀なき相対化とも言えて、そこで自分と切り離された世界(=あなた)をふたたび認識しない限り伸ばした手は空を切り続けるわけで、持たざる者のノブレス・オブリージュに邁進するケンプトンがなぜ「わたし」と「あなた」とを接続することに自らを捧げ続けるのか、悲しみの果てに幸福があることを信じつづけるのか、法廷で裁かれる彼の罪こそがその答えに他ならないという温かだけれど揺るぎのないサスペンスの、ずっとそこにあったのに誰も気づかずにいた手触りは清冽な驚きとなり、それを受け止めようと立ち上がり手を差し出しては、おもわず背筋を伸ばしてしまうのだ。あなたたちは知るまいが、私にも逃しようのない悲しみがあるのだと目をそらすことをしないグロウリング夫人(アンナ・マックスウェル・マーティン)が、ドロシー(ヘレン・ミレン)への共感とケンプトンとの共闘を茶目っ気たっぷりにこなして影のMVPとなっている。
posted by orr_dg at 02:43 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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