2022年02月05日

フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊/世界の意図を伝えよ

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オフィシャルサイト

「私らは探してる。置き去りにした何かを」ネスカフィエ警部補(スティーヴン・パーク)がつぶやいたその言葉を記した原稿を丸めて棄てて没にしたローバック・ライト(ジェフリー・ライト)に、アーサー・ハウイッツァー・Jr(ビル・マーレイ)は編集長として、いやこれこそが肝だろうよと原稿のしわを膝の上で伸ばしながら言うのだけれど、その瞬間、ああ、ウェス・アンダーソンは手の内と言うか種というか何かそんなものを言葉で明かしてしまうことにしたんだな、と別に落胆とかそういった気分でもなくむしろ清々しい気分でそれを聞いてみたのだ。自分の意に沿って、あるいは意に反して目の前から消えてしまった人やモノへのメランコリーと感傷、そしてそれらがもたらす躁病的なペシミズム、ワタシたちの記憶のあらかたなどおおかたがそんなもので、そしてワタシたちの「ワタシ」を形づくっているのが記憶の集積だとすれば、ワタシたちの生きる理由と意味は置き去りにした何かを探すこと以外にあるのだろうか、といういささか明晰がすぎるセリフにも思えたわけで、編集長アーサー・ハウイッツァー・Jrの追悼号にして最終号を飾るカヴァーストーリーが、失われつつあるもの(「自転車レポーター」)、失われなかったもの(「確固たる名作」)、失われたもの(「宣言書の改訂」)を主題に変奏しつつ、冒頭の言葉を擁する「警察署長の食事室」がマニフェスト=宣言書の役目を果たす構造は至ってシンプルに思えたし、ジジの目がのぞき穴からとらえた瞬間パートカラーに変転するショーガール(シアーシャ・ローナン)の青い瞳もまた彼にとっての“置き去りにした何か”になるのだろうことを強烈にうかがわせて、ワタシですらもふたりのあの一連をどうにも忘れがたく思ってしまうのだ。しかし、そうしたあけすけがいつになく与えられたとは言え、いつもの箱庭療法的な神経症のスラップスティックが今作ではやけに親密でなじみのリズムに感じられるのは、もしかしたら否応なしに押し込められて久しい世界の閉塞にワタシが順応したことによっているせいなのかもしれないなあと、この2年間でワタシが置き去りにした何かにあらためて想いを馳せることを促された気もしたわけで、クレジットロールに添えられたバックナンバーのカヴァーに溢れる健やかな自由と諧謔の気分がいっそうそれを急きたてたのか、なんだか頭と胸が熱っぽくツンと疼いて仕方がなかった。
posted by orr_dg at 20:04 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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