2022年01月16日

偶然と想像/ドライブ・ユア・オウン・カー

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オフィシャルサイト

※展開に触れています

第一話「魔法(よりもっと不確か)」で、芽衣子(古川琴音)とつぐみ(玄理)を乗せたタクシーのルームミラーにほんの一瞬映った、後部座席を見やる運転手の剣呑といっていい目つきには、芽衣子とつぐみの二人への、もしくはどちらか一人への、あるいはこれからこの物語に現れるすべての者たちへの感情移入を拒ませる気配がよぎった気がして、濱口監督にとってはおそらくノイズでしかないそれは、ここでさぁっとキャンセリングされることとなる。そしてその先で始まるのは全体性を回復する手始めとして自己肯定を入手するための物語で、この第一話の終盤で芽衣子にむかってズームするカメラは、偶然、といっても英題のWheel of Fortuneはもう少し芝居がかったそれだけれど、に翻弄されて溺れはじめた自分を想像でくい止める瞬間の切り返しであった気がして、間一髪で危うく命拾いをした者の安堵をみせる芽衣子がまずは露払いの役目を果たしてみせている。つづく第二話「扉は開けたままで」では自身が内部に呪ってきた過剰と欠落を、それこそがあなたの特質でありあなたの実存ではないかと瀬川(渋川清彦)に全肯定された奈緒(森郁月)が、それを刃とすることで佐々木(甲斐翔真)を的に瀬川の復讐を決意したその眼差しには、世界に向けた反撃の照準が絞られてピカレスクの予感で幕を閉じる。と、ここで視えてくるおおよそは、前述した感情移入を必要としない信頼できない語り手として現れた登場人物たちが、それぞれに手に入れた自己肯定によって自分だけが知る世界への語り口を見つける経過報告である気もして、偶然の果ての想像、偶然と想像の拮抗、と変遷する物語は第三話「もう一度」において想像が偶然を従え始め、私にぽっかりと空いたこの穴は記憶の中のあの人にも空いていていつかそれは繋がるにちがいないと想い続ける夏子(占部房子)が呼び起こした偶然は、知らない誰かであったはずのあや(河井青葉)に、自身の中でとっくに空いていた穴を気づかせて繋がることで円環する全体を手に入れてしまうのだ。そうやって過ごした時間の後であらためて「Wheel of Fortune and Fantasy」という英題を思い出してみれば、やはりこれは決定論(Wheel of Fortune)と自由意志(Fantasy)をめぐる密かな暗闘の物語であったことに気づかされるわけで、しかし映画が全身で伝えるのはその勝ち負けよりもそれらせめぎ合いの存在であったにしろ、そうした構造にこの国の中で想いを巡らせて見たとき、これら三話の主人公がすべて女性であり、第一話から段々とあがっていく彼女たちのライフステージにつれFantasyの強度と輝度も目盛りを増していく成り行きこそが監督の掲げた勝敗であったことは言うまでもないだろう。おそらく英語字幕だとあそこはmasturbateになるのだろうけれど、オナニーという和製英語化したドイツ語の人知れず親密でペーソスにあふれた響きは日本語ネイティヴの特権であることは言い切っておきたい。
posted by orr_dg at 19:21 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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