2022年01月11日

スパイダーマン : ノー・ウェイ・ホーム/ぼくがきみを知ってる

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オフィシャルサイト

※内容に触れています

今になってドクター・ストレンジは、というか大人たちは、ピーター・パーカー(トム・ホランド)が子ども(kid)であることに気づくのだ。決して望んでそれを手に入れたわけではないにも関わらず、大いなる力には大いなる責任が伴うという呪いをかけられた子どもが、その責任と引き換えに様々な喪失を受け入れつつ右往左往しながら彼の人生を獲得していく青春の残酷物語をようやくにして知ることになるのだ。そうやって生きるしかなかったピーター・パーカーであればこそ大いなる力というウィルスに侵されてしまったヴィランたちの悲劇を理解し、それゆえ彼らを駆除するのではなく治療(CURE)することに希望を見つけようとしたのではなかったか。そしてそれは同時にピーター・パーカーたち自身のキュアへとつながっていくわけで、かつて憎しみと復讐の連鎖にとらわれて親友親子の死に加担したピーター・パーカーがピーター・パーカーの前に立ちふさがることでその呪いをとき、セカンドチャンスを得たピーター・パーカーは今度こそ彼女の墜落に間に合うのだ。そうやってヒーローとしてのメランコリーに息がつまるほどとらわれ続けたピーター(トム・ホランド)が、しかしけっして感傷の愉悦に溺れてしまうことがなかったのは、かつてメンターとして交差したトニー・スタークの自己犠牲は手段であって目的ではない(キャプテン・アメリカとの訣別の理由でもある)という説教を心のどこかにピンで留めていたからなのだろうし、だからこそ、最後にピーターが遠くを見る人の澄んだ目で運命を選択するその姿にトニー・スタークが重なって見えた気もしたのだ。だからこそ「金を貰わずに人を殺すのは、そりゃただの人殺しだ」という中村主水のセリフが言い当てたヴィジランテの憂鬱を全身タイツに閉じ込めることで、青春の屈託をヒーロー哀史として書き換えたサム・ライミと訣別し遁走するために、泣きべそで解決しない世界のことわりを超えていく蒼い血の逆流が青春のデッドエンドをぶち抜くには、ジョン・ワッツが渾身で叩きこむギアチェンジが必要だったのだろうし、透徹した孤独をまとい街の守護者にして監視者として生きるピーターのラストは『ダークナイト』のそれに手を伸ばした気すらもしたのだ。今度はドクター・ストレンジたち大人が、たとえどれだけ無様にのたうちまわろうとその責任を果たさねばならないのは言うまでもない。
posted by orr_dg at 21:31 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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