2021年12月17日

ラストナイト・イン・ソーホー/ボクたちもみんな大人になれなかった

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オフィシャルサイト

※展開や結末に触れています

兎にも角にも逃げ切ってみせた『ベイビー・ドライバー』でスキゾフレニーの青春を追い越したエドガー・ライトが、もうオレには未練たらしく昨日を眺めながら明日へと追いやられてはこけつまろびつする野郎どもは必要ないのだとばかり、輝く未来へ一歩を踏み出す女の子を主人公に据えてはみたものの、過ぎ去った時間に淫するあまりそこに囚われた亡霊に目をつけられてしまうエロイーズ・ターナー(トーマシン・マッケンジー)もまたエドガー・ライトのかわしきれない投影であったのだとすれば、その結果として彼女が紡いでしまうサンディ(アニャ・テイラー=ジョイ)とミス・コリンズ(ダイアナ・リグ)の妄執を過去から逃げ切れなかった者の不幸と描かざるをえなかった点で、そもそもエドガー・ライトは自身がつけるべき落とし前を持ち合わせていないのではないかと思ってみたりもしたわけで、グラインドハウス的なホラー・ムーヴィーとしての機能は十全でありつつも、もしかしたらそれを目指したのかもしれない傷ついた世界に手を差し伸べる身のこなしについては自分でも途方にくれてしまっているように見えたのだ。映画における女性たちの受難はその時々にして折々の世界が隠さない残酷の証であったことをエリーの幻視を通して参照しつつ、では現代に生きるエリーは何を証とすればいいのか、それはやはり半世紀の時を超えてミス・コリンズにふりかかる火の粉をはらい業火から引きずり出すことだったように思ってしまうし、「刑務所になんか行くつもりはないわ」という言葉で彼女の自尊心を記してはみせたものの、ミス・コリンズ=サンディが生き抜くことこそが彼女の死を望んで群がった者たちをさらなる地獄に突き落とすのではなかったのかと、どこを探しても焼け跡からミス・コリンズの遺体は見つかることはなかったくらいの逃げ道を残すことはできなかったのかと思ってしまうのだ。これまでのやり逃げから一変して組み立てたサスペンスの筋立ても、銀髪の男(テレンス・スタンプ)のミスリードにならないミスリードや、エリーの幻視の中でサンディが“殺された”ショットを見せてしまうアンフェアなど、描きたかったのは60年代地獄めぐりであってその辺は余禄だからとでも言いたげな底の抜け方にも悔いは残ってしまうし、どうしてもミス・コリンズを亡き者とする結末を譲れないのだとすれば、それには、かつてロンドンで自死したエリーの母親もまたグッジ通り8番のあの部屋に住みサンディの残留思念に感応したことでエリー同様に精神を追い込まれ、アレクサンドラが自分に仕掛けたようにその自死を偽装されたことを知ったエリーが母親の復讐としてかつてサンディを“殺した”アレクサンドラを葬りさえすればあのラストショットがハッピーエンドの仕上げとなったようにも思うわけで、無駄使いこの上ないテレンス・スタンプにしたところで、彼がかつて救うことが叶わなかった数多の女性たちへの贖罪としてエリーのサポートに身を捧げることで映画の重心をより沈められたように思うのだ。生来のスキゾ・キッズとしての資質が遁走する主人公にジャストフィットしたことで芯を食った『ベイビー・ドライバー』を通過儀礼として今作で大人の階段を上るかに思えたエドガー・ライトではあるけれど、それよりは残した逃げ足を食いつぶしもうこれ以上どこにも逃げることが叶わない場所で永遠に笑い叫ぶ姿こそが彼にとっての真の成熟である気もするわけで、してみれば次作に選んだのが『バトルランナー/The Runnig man』のリメイクであることにも頷けて仕方がないということになる。いずれにしろ、2020年に近い現代のハロウィンパーティでスージー&ザ・バンシーズをブチ鳴らしてしまう三つ子の魂をワタシもまた捨て置けるはずはないのだけれど。
posted by orr_dg at 18:24 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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