2021年12月12日

パーフェクト・ケア/とっくの昔に死んでいる

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オフィシャルサイト

※展開および結末に触れています

世界中の親を親とも思わないマーラ・グレイソン(ロザムンド・パイク)のゼロ地点らしき瞬間がほんの一瞬目をかすめはするものの、地獄の入口まで倫理の底をぶち抜くことで世界への挑戦権を手に入れたマーラが今さらそれを泣き言めいた言い訳にするはずもなく、そもそもこれが「老人」=ジェニファー・ピーターソン(ダイアン・ウィースト)、「女性」=マーラ、「ハンディキャッパー」=ローマン・ルニョフ(ピーター・ディンクレイジ)といういまだ社会的弱者のレッテルを貼られる3人が界隈の強者として激突し繰り広げる暴力と策謀の物語であることを忘れなければ、浅薄なピカレスク的共感がうるさそうに払いのけられるのも当然の話ということになる。監督/脚本のJ・ブレイクソン(『アリス・クリードの失踪』!)は、そうした属性の反転それ自体が主題とならないよう巧妙にノイズを取り除きつつ、ローマンが送り込んだ弁護士エリクソン(クリス・メッシーナ)に対しては「思い通りにならない女には、あばずれ呼ばわりしたあげく殺すぞって脅すわけよね」と余裕綽々で一蹴するマーラを描く一方で、ローマンとの命がけのやりとりでは「私はとんでもない金持ちになりたいの。でもって本当の金持ち連中がやるみたいにお金を棍棒にしてぶん殴るには元手が要るのよ、だから1000万ドルで手を打つわ」と本心を隠すことをしないわけで、ここで一瞬だけ交錯するローマンとマーラの眼差しに疼くアメリカなるものへの怨嗟こそが最終的に2人を結びつけたようにも思ったのだ。しかし、望みどおりの棍棒を手に入れたマーラが彼女の創造した暴力のシステムでアメリカを打ちすえたかに思えた瞬間、建国以来アメリカに取り憑いた暴力の象徴たる銃によって弾き飛ばされるマーラの、因果応報とすらいえない退場のあっけなさを目の前に、悲しみでも蔑みでもない倦んだ目つきでアメリカが屠った最新の獲物を眺めていたのだった。そもそもJ・ブレイクソンはなぜマーラを殺すことを選んだのか。必要悪でも義賊でもないピカレスクへの倫理的道徳的抵抗か、あるいはピカレスクのセンチメンタルな念押しだったのか。それよりは、すべてのアメリカン・ドリームに潜むアメリカン・ナイトメアを召喚する儀式の生贄として選ばれたマーラの、その人生は生贄を肥え太らせるための入念な手続きでしかなかったのだろうことを考えてみれば、マーラ・グレイソンという人間の一切の余白を拒絶するシャープなボブやソリッドなパワースーツは最期に彼女の眼へと宿った完璧な虚無を演出する記号的な意匠であったことにあらためて頷かされたし、晴れ舞台に身につけた真白なスーツを深紅に溢れ出す血のキャンヴァスに選んだJ・ブレイクソンに抜かりはない。
posted by orr_dg at 23:41 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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