2021年12月06日

ダーク・アンド・ウィケッド/悪魔が憐れむ歌

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オフィシャルサイト

「信じるかどうかは問題じゃない。人間にあれは狼だと思われようが思われまいがそんなことはあいつらにはどうでもいい話で、きみたちは獲物だってだけのことだ」無神論者だった母(ジュリー・オリヴァー=タッチストーン)が悪魔の存在を示唆しつつ錯乱していく様子が綴られた日記の不可解をぶつけるルイーズ(マリン・アイルランド)とマイケル(マイケル・アボット・Jr)に牧師(ザンダー・バークレイ)は淡々と言い放つわけで、もしそんなものが必要であるならば、牧師のこの台詞を物語の解題とすれば手っ取り早いだろう。その年のベストテンにも入れた2009年の傑作『ストレンジャーズ 戦慄の訪問者』で文字通り戦慄のデビューを飾ったブライアン・ベルティノは、そこで『ファニー・ゲーム』のホラー・リミックスとすら言える純然たる悪意の抽出を行っていて、果たして原初の存在としての悪意に理由や動機が必要なのか?という胡乱にも思える眼差しでスラッシャーというジャンルを蹂躙しつつ脱構築していたのだけれど、今作はある意味でそれを裏返してみせた鏡像となっている。存在の不安が恐怖の源泉となる実存ホラーが現在確かな潮流となっているのは言うまでもなく、かつてスラッシャーという定型のジャンルを実存の拳で袋叩きにしたブライアン・ベルティノは、今作において実存ホラーという前線のスタイルをジャンプスケアに代表されるショッカー描写で胸倉をつかんでは揺さぶりをかけるという天の邪鬼ともいえる試みに挑んでいて、それを象徴するのがあのエンディングということになるのだろう。本来の実存ホラーであればひたすら分厚く「脅かす/おびやかす」ことで退路を断って袋小路に追い込んでいくところが、ここではそれに加えて「脅かす/おどかす」ことを厭わないジャンプスケアを躊躇なく多用していて、ラスボスを倒せば終わるスラッシャーの悪夢とは異なり私が私である限りその恐怖が止むことはない実存ホラーの終わらない日常を襲う掟破りの乱れ打ちは、ほとんど偏頭痛的な直截性で精神をなぶり続け、その愚直な着実さにこそ心底辟易させられていつしかワタシの目つきは死んでしまう。今作では95分、しかしそれを120分なり180分なり費やしたところで、物語の顔色をうかがい悪意の理由や原因の特定およびその正体の排除へと舵を切った瞬間、それはワタシたち人間の卑小な脳みそがようやく働く地平に引きずり降ろされてしまうわけで、ブライアン・ベルティノが『ストレンジャーズ 戦慄の訪問者』と今作で真っ先に手放したのがその手続きであったことを考えてみれば、人間の尊厳など一顧だにしない存在への飽くなき憧憬と畏敬がこれら異形を可能にしたことは言うまでもないだろう。深い森の中でたった一人、狼に出くわしそれに屠られるまでの数秒に見た胡蝶の夢の95分の狂い咲き。マイケルの妻ベッキー(ミンディ・レイモンド)の絶望のあまり自らに突きたてるナイフのような絶叫が色艶ともに絶品。お聞き逃しのなきよう。
posted by orr_dg at 02:49 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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