2021年11月08日

ひらいて/ラヴレター・フロム・彼方

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オフィシャルサイト

原作未読。あらかじめ破綻して開始されたとはいえ三角関係の体裁をとりながら、終盤の或るのっぴきならない状況まで木村愛(山田杏奈)、西村たとえ(作間龍斗)、新藤美雪(芋生悠)の3人が同じフレームにおさまることはなく、しかも3人の誰もが望んだわけでもなくもたらされたその状況で美雪のとったある行動に烈しく虚を突かれつつも、この物語が曲乗りする不穏と不安と不条理のバランスは、愛ではなく美雪が中心点だからこそ成立したのだなとようやくにして理解することとなる。抱えた持病がもたらすハンデを飼い馴らすために美雪が手に入れた、私は誰かのために生きるのだという一見したところの利他は、そうすることで他人に寄りかかる重さを相殺することでしか私は立っていられないからという内爆する蒼い覚悟のあらわれにも思え、それが美雪を密やかで優しくも世界への透徹した目つきを持つ無垢と無自覚の怪物へと変貌させた気もしたのだ。まるで手紙にでもしたためるように、隙なく推敲された美しく間違いのない言葉を怒りも哀しみも喜びも驚きもそのすべてを紙片に並べるような水平で紡ぐ美雪の言葉は怪物の甘美で不吉な一噛みにも思え、美雪と母の泉(田中美佐子)が父の不在となった食卓で夕食に用意された鍋を前にかわす会話の、たとえが東京の大学に受かったこと、だから私はたとえに付いて東京に行くのだという決心ですらない報告を、夕食が好きな鍋で嬉しい気持ちとたとえの合格を喜ぶ気持ち、そしてそれがもたらした自分の気持ちの昂りをまったく同列に連ねて言祝ぐかのように母に告げる美雪の仄明るい違和を、その話はお父さんがいる時にまたしましょうねと軽やかにかわす母のルーティーンワークめいた笑顔が裏づけたようにも思ったし、単身赴任なのだろうやはり父親の不在のもと同じように食卓でかわされる愛と母親(板谷由夏)のやりとりの他愛のなさは新藤家の食卓との健康的な差異を色づけしているのだろう。だからこそ、美雪というフラットの怪物の水のような感情が揺らいだ冒頭に述べたシーンで、たとえの父(萩原聖人)に対峙した美雪が一瞬で体勢を立て直し、凍りついてうつむくたとえと愛をよそに、たとえの父に出されたかまぼこを押し頂くように口に運ぶその姿には、いったい自分は何を観ているのか、これは高校生の少しばかりエキセントリックなだけの恋愛映画なのではなかったのかと息をひそめて居住まいを正さずにはいられなかったし、なればこそ、この物語の幸福な着地が愛もまた美雪の怪物に一噛みされてひざまづくラストであったことは十全の帰結に思えたのだ。原作の愛や美雪がどのような彼女たちであったのかわからないけれど、木村愛の不発する青春が炸裂するまでを本筋とすれば座りが良いのだろうことは承知の上で、ワタシは首藤凛監督が解き放った新藤美雪という世界をことごとく均す怪物こそがこの作品の真価だと思ってやむことがなく、それをほとんど憑依でもしたかのように捉えた芋生悠の怪物からも一時たりとも目を離せすことができなかったのだ。勢いのまま原作を読んでみようかとも思ったけれど、この美雪が美雪のままでいてくれそうもない気がするのでやめにした。
posted by orr_dg at 11:12 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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