2021年09月13日

シャン・チー/テン・リングスの伝説〜いつもトニーから始まる

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オフィシャルサイト

MCUのTVシリーズ展開にあまり興味のないワタシのような観客にとって今作は『エンドゲーム』以来のMCU新作となるわけだけれど(『ブラック・ウィドウ』は『エンドゲーム』ではその死が偲ばれなかったナターシャの通夜語りだろう)、アベンジャーズを賄うために極限までインフレーションされた「悪」の生贄としてサノスを捧げる狂熱の儀式もしくは祭りの後の虚脱をどのように浄化して新たな清新から歩み始めるのか、それまでの物語をまずは根本から裏返して北米からすれば辺境であろう彼方を舞台に、アングロサクソンを完全なモブ扱いにする力技と悪=敵がいなければ成立しないMCU世界の忌まわしき呪いをその存在の色艶として両立させるアクロバットをトニー・レオンに託し切った慧眼に、恐れ入ると言うよりはその透徹したクリエイティヴィティの切れ味に背筋がひんやりとすらしたのだった。善悪のあわいで途方にくれたように立ち尽くす人の悔恨と自棄を夕暮れの儚さで灯して立ちはだかるウェンウーの障壁が高ければ高いほど、そこを超えていくシャン・チー(シム・リウ)にはヒーローの血肉がいつしか備わっていくわけで、神話の父殺しというよりは道教的な魂の救済にも思えるそれはそのままシャン・チーというヒーローにたおやかさと高潔の色を施したように思うのだ。しかしシャーリン(メンガー・チャン)について言えば、共闘にしろ反発にしろいま一つ機能として交錯しないことで、本来であればシャン・チーより歪んだ屈託を抱えたはずの彼女がいささか物分かりが良すぎる点、というか物分かりが良くならざるを得ないへの不満(ポストクレジットシーンがその穴埋めをするとはいえ)は、トニー・レオンがみせたミラクルの功罪という気がしないでもない。ウェンウーとイン・リー(ファラ・チャン)の出会いからやがて想いを募らせるロマンスを流麗なアクションで紡いでいくシーンが、かつてアン・リーが『グリーン・デスティニー』で魅せた官能的とすら言える剣術の交感を継承していることは、シャン・チーのメンターとして登場するミシェル・ヨーの凛として揺るがないたたずまいに明らかだろう。今後トニー・レオンは、シャン・チー絶体絶命のピンチ、もしくはシャーリンとの致死的な兄妹喧嘩にスピリットとしてあらわれて、にこやかに兄妹を救ってやって欲しいと切に願う。おそらくケヴィン・ファイギは何かのシナリオのどこかをトニー・レオン仕様にリライトすべく既に指示しているように思っている。
posted by orr_dg at 11:24 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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