2021年09月09日

アナザーラウンド/死ぬには少し酔いすぎた

another_round_02.jpg
オフィシャルサイト

「朝起きて気分が非常にブルーになってると、そういう時に面白いもの書こうと思えばアップさせなきゃいけない。だから3合くらい日本酒を飲む。そうするとやっと普通の状態になって書けるようになる。」中島らもが徹子の部屋に出演したとき、こんな風にキックとしての酒をわかりやすく淡々と黒柳徹子に語っている。中島らもの場合、酒がキックで済まなくなったことで依存症の泥沼に沈んでいくのだけれど、この映画はアルコールやその依存症への糾弾や擁護の色を分けるわけでも、それをことさらに笑い飛ばしたり揶揄したりするわけでもなく、中島らもがいうところの“ブルー”の彩りを酒で濃くしたり薄めたりしてできる模様が今はなくしてしまったけれど自分の大切だった何かに似てはいやしないかと、人生を折り返した男たちがその帰り途で焦燥にとらわれながら落しものを探すその肩に、メランコリーの上着をそっとかけてやっていたように思うのだ。いつだったか大槻ケンヂが言っていた、薬を飲むだけで簡単に上がったり下がったりするんだとしたら後生大事にありがたがる「本当の自分」なんてものはそもそも幻想なんじゃないかといったことや、酒に自分の心を支配されている感覚になるから絶対に飲まないという蛭子能収の言葉を思い浮かべてみる時、ワタシたちは「本当の自分」という幻想に囚われて自分で自分の首を絞めているのではないかという考えを振り払うことができないでいるし、「本当の自分」と「現実の自分」の乖離の淵で彷徨するマーティン(マッツ・ミケルセン)は、好むと好まざるに関わらず社会との関係性において生きることを要請されるワタシたちそのものであるからこそ、彼の失敗はどこまでもワタシたちの後を付いてくるのではなかろうか。だからこそ、アルコールのキックによって社会的な動物としてつながれた首の鎖を永遠に解くことを選んだトミー(トマス・ボー・ラーセン)がその自爆によって仲間達の失敗に煙幕を張ったことや、最期にマーティンに託した、お前がお前について考えることなど何のあてにもなりやしない、それよりはお前が手を伸ばして触れたものの手触りを大事にしてそれを手放すなというメッセージが悲痛なまでに胸を打つわけで、妻からのメッセージを見たマーティンに宿った、ああこれでもう俺にはトミーの選択を追うことは叶わなくなったという安堵とあきらめの目元からの、未来に対する盲目的な希望にあふれた学生たちの前で泣き笑いするかのようにトミーへのレクイエムを踊り狂い海に飛び込むマーティンのストップショットは『大人はわかってくれない』のそれにも似たその先への止揚の突きつけに思え、その一瞬マスクの息苦しさが今さらながら耐えがたくて仕方がなかった。
posted by orr_dg at 22:39 | Comment(1) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
死ぬには少し酔いすぎたってかっこよすぎる、
人の感想を軽い気持ちで読もうとしただけなのに、このブログ見つけられてよかった…。
Posted by at 2024年05月02日 14:23
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。