2021年08月11日

明日に向かって笑え!/気分はもう闘争

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フェルミン(リカルド・ダン)が感情の発火装置としてある一方、生まれついてのアナキストを自称するアントニオ(ルイス・ブランドーニ)は「われわれはこうしてアナキズムの父ミハイル・バクーニンの夢を追いかけている。個人は国家とその制度を超越するのだ」と、これが復讐ではなく正当な闘争であることを絶えず謳い続け、ファン・ペロンの時代にひととき労働者の楽園を夢見たロロ(ダニエル・アラオス)は飼いならし続けた屈託をペロン主義への憧憬として静かに解き放ち、そもそもの発端が農家の保護と雇用の創出を目的とした農協の再建であったことを思い出してみれば、政府の下部組織としてではない独立した共同体の再構築に伴う闘争の物語として、トーンは違えど『バクラウ 地図から消された村』に通じる“無政府主義の季節”が見て取れた気もしたのだ。もちろんここに『バクラウ』の血なまぐささはないけれど、最小限に止めるはずだった発電所の爆破が、雑ででたらめな作戦のため発電所のすべてを吹き飛ばしてしまっていて、嵐の夜に市中の全域を復旧不可能な停電に陥れた結果として予期せぬ不幸に堕ちた人間は果たしてどこへ消えたのか、この集団がいつしか纏ったのかもしれない薄っすらとした狂気も含め笑い飛ばすのが、特にアントニオにおけるマナーではあったのだろうし、物騒な手段に訴えるのは問題外として、アティテュードとしてのアナーキズムで自衛すべき時代の只中にいることを実感させられてばかりの世の中にあっては、それが健康的にすら思えてしまうのだ。とはいえアントニオがバールを振り回す代わりにいったい何をしたか、あれはこちらのそんな物騒を見透かした上でのクールダウンだったのだろう。俺の敵は国家でも政府でもない、あんたら益体もない大人たちだよ、とエルナン(マルコ・アントニオ・カポニ)が冷ややかに見舞う正義と悪のうっすらと苦い中和がカウンターで効いている。
posted by orr_dg at 22:23 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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