2021年06月02日

ファーザー/私は誰だった

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見当識を失えば失うほど腕時計とフラットへの執着が妄執と化していくアンソニー(アンソニー・ホプキンス)に、時間と場所という座標軸を失った人間がいかにして寄る辺なき存在になっていくのか、認知症は死の恐怖を緩和する麻酔薬であるといった言説に否定や肯定を下す術など持たない自分ではあったものの、いつ終わるとも知れぬ走馬灯の暴走に蹂躙されるその間は死を怖れることすらままならないという点において有効な考えではあったことを、おそるべき彼方から知らされたように思ったのだ。父のことを想うアン(オリヴィア・コールマン)が現実に介入すればするほどアンソニーの記憶はさらなるシャッフルとカットアップに切り刻まれて氾濫するモザイクと化し、しかしアンは自分が波紋となって父が囚われるヴィジョンやサウンドの一切を識ることが叶わないという断絶が、これまでであればアンの哀しみと困惑の視点で描かれた物語の向こう側にアンソニーが彷徨する漆黒の宇宙空間の恐怖と混乱が存在する構造を成り立たせ、オープニングに代表されるアンの一人称と、フラットを漂うアンソニーの一人称が切り分け不能に思えるのは、その2つがたとえば『インターステラー』の並行世界のように互いを串刺ししていたからで、かつて父に注がれたアンの愛情は時空を超えてアンソニーを包み続け、彼が特異点へと向かう後ろ姿を見守り続けたのではなかったか。最期に自分が誰の名を呼んで家に帰りたいと泣くのか、それを知る術がないことに悔いは残るけれど、一片となって虚空に消えていくラストがああして訪れてくれるのならばそれだけでありがたいと考えている。ワタシの一番好きな色もブルー。
posted by orr_dg at 23:14 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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