2021年04月02日

ミナリ/汝、夢を祈るなかれ

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人里離れた山の中、一家を乗せたステーションワゴンはその「家」を目指す。かつて誰かが暮らしたその「家」で夫は次第に自らの野心の虜となり、妻は夫を愛しながらもいつしかその両手は我が子を抱きしめて離さず、息子は新たな「家」と土地の光と影に感応し、一人の老人がその知恵と奥底の力で一家を覆う影を祓うべく刺し違えてわが身を捧げる。とこの物語の連なりを解いてみると、新天地に向かうはずのオープニングからつきまとって離れない不穏と不安と緊張の正体が『シャイニング』の構造であったことに気づかされ、中盤でデヴィッド(アラン・キム)が友達の父親から聞かされる「家」にまつわるある出来事の残留が、「家」の中のある場所に反応する祖母スンジャ(ユン・ヨジョン)とポール(ウィル・パットン)の警戒と恐れによって知らされることとなる。してみると、スンジャの行為によってジェイコブ(スティーヴン・ユァン)があの部屋の隅へと引っ張られることなく清められたのだろうことは言うまでもなく、それはデヴィッドと2人セリを摘む彼の憑き物の落ちたような静謐に見てとれるのだけれど、自分の母親が夫に仕向けた不幸の顛末をその性質としてモニカ(ハン・イェリ)は決定的な負い目に背負ってしまうのではないかという、その先が描かれないことに少し気持はざわついたままなのだけれど、この物語において救うべきは、ジェイコブとデヴィッドという男たちが夢見たアメリカというマチズモの呪いだったのだとすれば、神話は往々にして残酷で寄る辺なくはあるものの、過去を断ち目の前の現在に拘泥し続けたジェイコブがダウジングに譲歩するのも大地の物語への宥和としてあったわけで、神話を持ち得た者にのみ許される言葉と声を手に入れた、孵化場の同僚の言う「それが嫌でここに来た人たち」が、その先で新たな物語を紡ぐ予感を頼りに祝福すべきなのだろう。しかし監督はあの同僚の、淵へと誘うような倦怠を切り捨ててしまっていたわけでもなく、それは、移民という「それが嫌でここに来た人たち」の連なりとして自分が負うべき視線のアウトサイダーの自負とインサイダーの覚悟によっているのだろうし、分断の裂け目から見つめるそのマージナルな視線に晒された移民国家アメリカの、約束の地を失った時代の新たな神話への切実がこの物語を呼び覚ましたようにも思った。役柄としては貧乏くじを引かざるを得なかったモニカ役を、決壊寸前の堤防の緊張と祈りとで演じて内爆するアンサンブルを支えたハン・イェリにこそ讃辞を贈る。
posted by orr_dg at 23:14 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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