2021年03月23日

ビバリウム/家を見に行くつもりじゃなかった

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オフィシャルサイト

アメリカ的な物資主義の墓場としてのサバービアというよりはシステムの牢獄としてのそれにデカダンスの爛れはなく、そうした囚われが生み出すのは無表情で無感情な人間もどきに過ぎないといういささか牧歌的な比喩と、侵略ものとしては「それ」1人というか1匹というか1体の生育に人間2人を消費して地味にマイナスを重ねていく悠長さが終わらない日常の倦怠と絶望の尻尾をつかまえてはいるものの、その終わらなさの質が完全に変わってしまっている2021年においてはどうにも他人事の手慰みにとどまってしまう点で、互いに運が悪かったというしかないように思えてしまう。人間しぐさを刷り込ませるにおいて、持家の購入を検討するライフステージにある男女を社会的に機能する人間のサンプルとして抽出し托卵させるマーティンたちの目のつけどころはなかなか秀逸で、成長したマーティンがトム(ジェシー・アイゼンバーグ)とジェマ(イモージェン・プーツ)に向ける視線が冷ややかかつ蔑むように変わっていくあたりに、これほど脆弱で卑しい存在に寄生しなければならない我が身への自己嫌悪をほのかに匂わせて、それは人間様の完コピもたらした人間性ゆえの帰結なのかマーティンとしての本質に芽生えたそれなのか、いずれにしろそれを成長の終わりとして、冒頭でトムがそうしたように穴は埋められてマーティンは町に帰っていく。システムを懐疑してそこから「自立」し「自由」であろうとした男女が最期にはそこに呑まれ喰われてしまう物語にあるのは、教訓と言うよりは巧妙なシステムのめぐらされた世界の反映に思え、だからこそルードボーイ賛歌としてのロックステディ「Rudy A Message To You/ルーディたちへのメッセージ」と「007(Shanty Town)/シャンティ・タウン」をわざわざオリジナルヴァージョンでインサートすることでその敗北を痛切にしてみせたわけで、ならばラストの1曲がなぜザ・クラッシュの「Rudie Can't Fail/しくじるなよ、ルーディ」でなかったのか、これがどれほどの画竜であったかはともかくとして点睛を欠いたのは間違いがないように思ったのだ。もちろんXTCには何の恨みもないけども。
posted by orr_dg at 20:19 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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