2021年02月25日

世界で一番しあわせな食堂/料理みたいな恋をした

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寂れた町にふらっと現れたよそ者が、女主人の切り盛りする店とそこに集まる町の人々の表情に明かりを灯すべく立ち上がる、と言ってみればまるで西部劇の幕開けのように思えるのだけれど、ここにはよそ者が打ち倒すべき敵がいないのだ。ワタシたちが思い浮かべる常套であれば敵が出てくるに違いないシーンのことごとくで、よそ者は笑顔と礼儀とで迎えられ、よそ者が町を救うというよりはむしろ町がよそ者を救おうとすることにより生まれる正のスパイラルがよそ者と町の人々の人生を祝福して幸福を高めていくわけで、とはいえそれが確信的な性善説の桃源郷として鼻白むことがないのは、これが30年間をブラジルで過ごしたミカ・カウリスマキが彼の地で目にした分断と負のスパイラルへのカウンターとなる実験にも映ったからで、それは弟アキが近作でついには流血する希望へ踏み込んだ後に筆を置いてしまったことへの呼応に思えたりもした。カウリスマキ兄弟の映画を観ていると他人に優しくすることがいとも簡単に思えてしまうのだけれど、この作品を観てあらためて思うのは、ことさらに優しくしなくても嫌ったり憎んだり遠ざけたりしなければ、そうする理由を探すことさえしなければ人間は自然と繋がるように造られているのだなあというただそれだけであって、この映画をともすれば寓話やおとぎ話と片づけてしまいたくなるのは、防弾ベストのように重ねたそれら理由を手放して丸腰になることへの照れというよりは怖ろしさがそうさせるのだろう気が我ながらしている。チェン(チュー・パック・ホング)とニュニョ(ルーカス・スアン)の主人公親子が中国人ということで、人種や文化が前景となるシーンではそこに始まるクリシェを予想して思わず身構えてしまうのだけれど、こちらのそうした反応を見透かすように監督は、それを衝突や軋轢ではなく新しい出会いへと軽やかに筆を走らせてみせて、その度にワタシは自分が益体もない知ったような顔の分断に毒されていることを知らされてどぎまぎしてしまうのだけれど、それを見透かしでもするようにチェンとシルカ(アンナ=マイヤ・トゥオッコ)やヴィルブラ(ヴェサ=マッティ・ロイリ)、ロンパイネン(カリ・ヴァーナネン)の交流とそこから生まれる更新がだんだんとワタシの毒を抜いていくわけで、冒頭でこれが西部劇だとしたら倒すべき敵がいないのだと書いたその敵は、何てことはない、実はワタシであったのだ。おれはお前の分断を知っているとミカ・カウリスマキは言っていて、しかし、気づいたならそれでいいとも言ってくれていて、このロハスでスローフードな邦題も、お前らにしちゃなかなか冴えたブラックジョークじゃないかと言ってくれるにちがいないと思ったりもした。
posted by orr_dg at 23:38 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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