2021年01月29日

KCIA 南山の部長たち/シルエットや影が革命を見ている

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オフィシャルサイト

パク大統領(イ・ソンミン)が何かを催促するように左手を宙で軽く揺らす。一瞬ののち、キム・ギュピョン大韓民国中央情報部部長(イ・ビョンホン)はそれが煙草を催促していることに気づき、部屋の向こうのテーブルにおかれた煙草を取りに歩いたあとで、大統領に背を向けたまま思わず煙草を箱ごと握りつぶしてしまう。おそらくそれはキム部長が最初に気づいた自分の揺れだったのだろう。煙草の火を点けるのであれば、それは大統領が自分の目の前にいるということになるけれど、大統領は遠くのあちらに行って煙草を取ってこいという。いつからか大統領は足が動かない人になってしまった。足が動かない人は心も動かなくなる。心が動かない人はまわりの動きが見えなくなっていく。だからそういう人はクァク警護室長(パク・ヨンガク)のように心の動かない人間しか見えなくなってしまうのだ。ここから先、遠ざかる大統領を我が身を切り刻む血糊で貼り付けるキム部長を、その代償として精神と肉体の軋みと乖離がむしばみ始め、様々な判断が最初はミリ単位で遅れ出す。実際のところ狂気の渦に捉えられているのはパク大統領でありクァク警護室長であり彼らがしつらえたシステムなのだけれど、その渦にあっては歯をくいしばり流れに抗うキム部長にこそうっすらとパラノイアが上気していくようにも思え、この青瓦台においては狂っていないということが狂っているということなのだという裏返った悪夢の中で、大統領を狂気の渦から救い出さねばならないという使命がキム部長のオブセッションとして脈打ち始め、撫でつけた髪の乱れることが次第に目立っていく。原作のノンフィクションを読んでいないのでそれぞれの人物へのスタンスがどれほど脚色されているのかつかめないのだけれど、ここではキム・ギュピョン=キム・ジェギュへの寄せ方として正気の人であり続けたからこそ境界を越えるしかなかった人と描いたように思え、そうした彼の蒼ざめた静脈の疼きに耳を澄ませるために、徹底して神経症的にソリッドな画作りを監督は徹頭徹尾必要としたのだろう。実録ものとはいえ歴史の見当識がキム部長の時間の中へと溶けていく極私的な酩酊は、青瓦台の権力闘争の中で彼だけがあの日からずっと革命闘争の中にあったことを記すための語り口であったのだろうし、だからこそ革命の達成ではない完全な終焉としてあの人物の視点によるラストで閉じなければならなかったのだろう。夕暮れにひとり途方に暮れる子供のようなキム部長を、泳がんとする目元をきっと締め上げ、わななかんとする口元を食いしばり、その軋みで正気を失わないよう背筋をぎりぎりと伸ばし、しかし心の内の半べそを透かすように創り上げたイ・ビョンホンがほとんど神がかっていて、返り血をあびて走り去る車中、靴下のままの足を見ておれの靴はどこだ、おれの靴はどうしたとうろたえるその姿は、上履きを隠されうろたえて涙がこみあげ始める子供にしか見えなかったのだ。
posted by orr_dg at 17:25 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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