2020年06月24日

ペイン・アンド・グローリー/ヘロイン・アンド・グルーミー

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オフィシャルサイト

かつて自分を精神の奥底まで決定づけた、そしてそれゆえ人生を共に進めることのできなかった恋人が30余年を経てある日突然自分を訪ねてくるその瞬間、果たして彼はどれだけ変わってしまっているのか、そして自分は彼の目にどれだけ変わった姿と映るのか、期待と畏れに苛まれながら戸口でフェデリコ(レオナルド・スバラーリャ)を待つサルバドール(アントニオ・バンデラス)の、至福の苦痛すらを待ちわびる数秒に溢れる恍惚と倦怠、楽観と悲観、要するに生と死の両側に均しく足をおろした者の生命が剥きだされて香り立つ瞬間、押し寄せる全体性の波にこちらまで呑まれてしまいそうになる。過去は死んでしまった時間なのか。だとしたらこの激痛は棺桶の蓋を打ちつける釘が我が身をえぐるのか。なかば贖罪でもあるかのように痛みと共生するサルバドールは、その痛みと引き換えに手に入れた美術品によって装甲した自宅で籠城戦を戦っているかのようだ。しかし彼は、ある過去が彼に追いついたのを、それを待っていたかのごとく追いつかれるままにそこへとたゆたっていくわけで、それを謳うかのようにプールに沈むオープニングから、精緻にして巧妙な回想(しかしその仕掛けがラストで明かされる)で母への思慕と自身のヰタ・セクスアリスを描いては、愛憎半ばする盟友アルベルト(アシエル・エチュアンディア)に託した戯曲で自身とフェデリコの愛と苦痛の日々を告白し、それら過去の記憶を現在のサルバドールの茫漠としたメランコリーとめくるめくような語り口でクロスさせながら、しかし物語は確実に喪失から再生の物語へだんだんと顔をあげながら歩を進めていくのである。その足取りはまるで、かつて片岡義男がしたためた“現在とその延長としてのこれから先、というものだけにとらわれていると、人はほとんどの場合、過去を亡きものにしてしまう。過去を葬れば、現在が道連れにされる。”という一文が照らす道を歩くようにも思えたし、そしてなにより、ポン・ジュノが引用したスコセッシの“最も個人的なことは、最もクリエイティブなことだ”という言葉の明晰で熱を帯びた実践に恍惚と眼も心も奪われてしまうのだ。ヘロインを手に入れるためサルバドールが訪れた裏通りで知らない男が刃物で斬りつけられ脚から血を流すシーン、ヘロインに引き寄せられて劇中で唯一自分の陣地から外に出たサルバドールに吹く暴力の風を一筆書きのように描いてみせて、そのスケッチすらが滴るように完結して少しだけ震える。そして何より、執着と諦念の間で地上からほんのわずか浮いたように漂泊するアントニオ・バンデラスがキャリアハイといってもいい表出で終始の圧倒。アルモドバル作品では今作に限ったことではないのだけれど、原色を中間色のように感じさせる色彩設計の妙が爛熟したポップの倦怠や退廃をつかまえてため息しか出てこない。ワタシがこの映画にどれくらい喰われたかといえば、それは『シングルマン』を異母姉妹としてしまいたいくらい。傑作。生きてさえいれば、また会える(「愛の行方」大貫妙子)
posted by orr_dg at 01:19 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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