2020年06月16日

ハリエット/ニューゲーム、ニュールール

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オフィシャルサイト

ナルコレプシーときけば色川武大の名前が浮かび、ひいては「狂人日記」にしたためられた幻覚と実存がひとりの人間の内部で繰り広げる共食いの極北を想い出してしまうわけで、してみるとナルコレプシーがそんな風に都合の良い天啓で事態を済ませてくれるものだろうかと訝しんでみたりもするものの、しかしついにはコロンブスまでもが粛清される時代とあっては新しい神話が可及的速やかに求められるのもむべなるかなと物分かり良くふるまってみたりもするのである。映画的神話としてはハリエット・タブマン(シンシア・エリヴォ)がまだミンティだった最初のエスケープをピークにすべてのスリルとサスペンスは“神懸かり”にとって代わられ、脅威の目と鼻の先でそんな悠長に愁嘆場を繰り広げてる場合じゃなかろうよと幾度となく気をもむも、ハリエットは次第に偉人伝の舗装道路をすいすいと進み始めていくわけで、その見晴らしを良くするためには、一見したところ複層的なキャラクターも他の邪魔にならないような単色でベタ塗りされてあるべき風景の中に調和するよう配置されていくわけで、ジャネール・モネイでさえがきわめて忠実かつ贅沢に一介の要員の役をこなして死んでいくのだ。そんな中、この神話が最後まで扱いかねたのが奴隷ハンターのビガー・ロング(オマー・ドージー)であったように思われて、農場主ギデオン(ジョー・アルウィン)に、そんなに稼いでおまえなんかが何に使うんだ?と皮肉を言われれば、白人の女を買って抱くんだよ!とやり返す当たり前の屈託を秘めつつも、なぜ彼が同胞を追い白人に差し出す稼業に身をやつしたのかといった彼の物語はかけらも語られることのないまま単なる醜悪な裏切り者として死んでいくのである。しかもその最期はマリーの復讐としてハリエットの手にかかることすらなく、ハリエットへの執着に憑かれたギデオンの手によって虫けら同然の退場を余儀なくされるわけで、おそらくそれは聖人ハリエットの手を同胞殺しで汚すわけにはいかないのだという舵取りによっているにしろ、自由か死を!とつきつけるハリエットの前にあってはその屈折した瞳の翳りなど言い訳にすらならなかったのだろう。ジョン・トールのカメラによる繊細かつ流麗な抒情と、テレンス・ブランチャードの静謐で神々しくすらあるスコアがハリエットのアジテートを力業で御言葉へと響かせて、今も昔も神は死を厭わないのである。
posted by orr_dg at 13:25 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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