2020年05月23日

ザ・ハント ナチスに狙われた男/そして私が逃がした男

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「こういう時こそ心で行動するのよ」息も絶え絶えのヤン・ボールスルド(トマス・グルスタッド)をかくまったグドゥルン・グロンヴォル(マリー・ブロックス)は、関わり合いになるのを嫌がる家族に向かって毅然と言い放ち、この映画で描かれたノルウェーの人々が示したレジスタンスのスピリットを代弁してみせるのである。ナチス占領下におけるノルウェーの破壊工作員ヤンは、12人の仲間と共にナチスの拠点破壊の任を受けるも失敗し仲間たちが捕らえらた中、ただ1人拘束を逃れ中立国スウェーデンへの脱出を試みる。では破壊工作に失敗し、かといって何らかの機密事項を手に入れたわけでもないヤンをナチス親衛隊の少佐クルト・シュターゲ(ジョナサン・リス・マイヤーズ)はなぜ執拗に追跡するのか、それまでノルウェー工作員の破壊工作を圧倒的に制圧してきた少佐にとって、ヤンは上手の手から漏れた水であり彼の完璧主義を傷つける道端の石ころなわけで、それすなわち裏を返せばノルウェーの人々にとってヤンはナチスの非道と傲慢を嘲う自由の象徴にちがいなく、ヤンが無事スウェーデンに逃げ切ることは彼らにとっての勝利に他ならないということになる。過酷な雪山を身体一つで逃げ続けるヤンが次第に消耗し、壊疽の始まった足を抱えて身体の自由が利かなくなっていくにつれ、行く先々で出会うグドゥルンの様な人々が彼をまるで自由を照らす松明のように掲げてはリレーしていくわけで、手を貸したことがナチスに知られれば命も危ういにも関わらず、我が身の危険をかえりみることなく手を差し伸べる人々こそが真の英雄であったことを、彼や彼女たちのその無私の微笑みを、戦争では善い人から死んでいくのだという苛烈なサスペンスへと変換しつつ、そこに暮らす雪の白さに反射する光のきらめきを希望へと映すことで描いていく。と書いてみると、何やらヒューマニズムの火照りが雪をも溶かすドラマのように聞こえはするものの、ヤンを松明とするため彼の自由を削いでいく容赦のない手続きは時折ホラーの様相を呈したりもするわけで、雪崩につかまって叩きのめされるシーンや壊死し始めた足の指を自分で切り落とすシーン、遠く離れて捕虜になった仲間が拷問を受けるシーンなど折々で体感温度を下げる作業を監督が怠ることはなく、それはヤンを狩り立てる親衛隊少佐シュターゲの描き方にも見て取れて、塩分濃度ゆえ水温が氷点下に達するフィヨルドに逃げた人間が果たして生命を維持できるのかどうか、それを知るため捕虜を片っ端から水中に追いやるも衰弱した人間ではその判断がつかないと見てとるや、シュターゲは時計片手に自ら水中に足を踏み入れていくわけで、そんな風にしてヒトラーに捧げることでしか持ち得た合理と知性を発揮できない男の狂気と哀しみが、この追跡劇に絶対零度の奥行きを書き加えていくこととなるのである。これがフィクションならば、回復しグロンヴォル農場を訪れたヤンの姿とそれに気づいて瞬時に顔をほころばせるグドゥルンのショットで幕を閉じるところが、エピローグに流れる「グドゥルンが結婚したのは20年後だった(Gudrun eventually married 20 years later)」というテロップが現実の素っ気ないままならなさを伝えては、彼女の微笑みとまなざしが切なく思い出されて仕方がなかったのだ。もしそれを「結局は」と訳すなら、”eventually”という副詞にしのばされた彼女の物語がこの映画を少しだけ淡く哀しく染めている。
posted by orr_dg at 02:47 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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