2020年05月15日

第三夫人と髪飾り/あした殺られる前に

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オフィシャルサイト

「どうか私に息子を授けてください。この家で最後の男の子を。」14歳にして地主の第三夫人となったメイ(グエン・フオン・チャー・ミー)は、ありったけの知覚と本能とを動員して導いた答えを、そのまま呪いともいえる願いとして仏堂に祈るのである。しばしばインサートされる蚕は、子供を産むこと、それも世継としての男子を産むことを求められる彼女たちの、人生を共にする一人というよりは替えの効く匿名的な妻としてのみ存在する、二の矢三の矢としての一夫多妻制が示す一方的で酷薄な合理性の象徴ともなっている。それと同時に、最初の結婚が社会的力学の結果として行われた場合、夫にとっての人生の彩りとして新たな妻を迎える側面もあるのだろうことは、第一夫人ハ(トラン・ヌー・イェン・ケー)の長男ソン(グエン・タイン・タム)の悲劇的な婚姻にも見てとれて、そうやって他者の感情を粉砕する経験の積み重ねが主人ハン(レ・ヴー・ロン)のまとう茫漠としたアパシーの厚みを増していくのだろうことがうかがえる。この主人を記号的な悪人と描いて観客の感情を誘導しなかったのは、監督にとっては物語の綴りよりも全体的な女性性の搾取のシステムを浮かび上がらせることが本意だったのだろう。水と光と植物の織りなす生命の息吹は同時にメメント・モリの企みでもあり、トラン・ヌー・イェン・ケーの佇まいと、エンドクレジットで目に止まる美術監修トラン・アン・ユンの名前に、土着を漂白することでノスタルジーやセンチメンタリズムを現代の地続きへと再構築するモダンの正体が見てとれた気がしていて、監督のこれら題材への直情に批評性をもたらす手管を貸している。とはいえ、それによってフォーカスされたものとスポイルされたもののバランスという点で、デビュー作ゆえの暴走と遁走がもたらす爪跡は少しばかり甘く優しいように思ったのが正直なところ。『青いパパイヤの香り』にあったざわめくような「手つき」への官能が、その料理シーンの実践も含めフェティシズムを欠いていたのもその要因か。さすがにトラン・ヌー・イェン・ケーだけはそれを分かっていて、彼女の手だけは一匹の生き物のように這いまわっていた。
posted by orr_dg at 23:19 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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