2020年03月12日

スケアリーストーリーズ 怖い本/書かずに死ねるか!

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オフィシャルサイト

アンドレ・ウーヴレダルという監督の、怪異はあくまで手段であって目的ではないというトータルのバランスを見通す視点の深度と強度があればこそ、ジュヴナイル・ホラーだからといって、オカルトで道に迷わせホラーで閉じ込めてテラーで破壊するその手順に手心を加えるはずもなく、永遠にイノセンスを失うことをアメリカが受け入れた1968年という年のハロウィンに、ステラ(ゾーイ・マーガレット・コレッティ)という少女のイノセンスの喪失と自立とをそこに重ねることで、通過儀礼の物語を未知への恐怖と痛みとで彩ってみせたのである。暗い時代への予兆を彼方にしつつ、夜を超えた自身への確信を胸に旅立つラストはどこかしら『アメリカン・グラフィティ』の刹那的なオプティミズムに通じる香りすら漂わせた気もして、懐古趣味を裏返して普遍に封じるあたりはギレルモ・デル・トロの気配も見て取れるし、そこまでを嗅ぎ取りつつ正統なジャンル・ムーヴィーに幻視する地肩の強さをウーヴレダルに見てとったデル・トロの慧眼はさすがとしか言いようがない。ウーヴレダルが備える正解の一つは遅さの認識だろう。それはナイフで切り刻むのではない鉈で断つ恐怖の追求といってもよく、なにしろ彼の映画ではメタファーではない恐怖がきちんと視えるというかそれを視せることで物語が疼くように変調をきたすわけで、それは恐怖を精確にヴィジョンし目眩ましのカットやスピードを必要としないからこそ可能なスペクタクルであって、今作のようなジュヴナイルでは特にその歩幅が十全に奏功したように思うのである。こけつまろびつしながら立ちはだかるかかしのハロルドの圧力や足指なしが廊下の奥から角を曲がってゆらり現れる時の溜めは言うまでもなく、今作のモンスターではいささか性急な気配のあるジャグリーマンについては、屋外に飛び出してラモン(マイケル・ガーザ)を追撃する瞬間、いったん引きのカットにしてシークエンスをなだめているし、その巨体ゆえ遅々としか動けぬ青白い女がチャックを追い詰めるシーンでは、軽快と言ってもいいカットバックを多用することでモンスターの圧力を絶望に変える新機軸を見せさえするわけで、まだこんなアイディアが残っていたのかと舌を巻きつつ、たいていの嫌な目には免疫があるはずが、こういう目に遭うのはちょっと嫌だなあと思いがけずワクワクした気分で没入(=ジャック・イン ©黒丸尚)したのだった。アンドレ・ウーヴレダルとマイク・フラナガンがいれば界隈の未来は明るいにちがいない。
posted by orr_dg at 19:29 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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