2020年03月10日

ドミノ 復讐の咆哮/世界は泣き別れている

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オフィシャルサイト

窃視の角度に据えられたカメラによって生贄がクリスチャン(ニコライ・コスター=ワルドー)であることが宣言され、サイドテーブルに置き忘れられた拳銃をカメラがズームすることで益体のないゲームがそっとスタートする。彼が追いつくか逃げ切るか、生贄となった彼にとってはその存在を賭けたゲームに他ならないにしろ、主催者にとってはいつもの暇つぶしでしかないわけで、ここはひとつ趣向を変えて君たちにも分りやすいドミノ効果を用いることで、ある一つの世界線を見せてあげようではないかと主催者は手ぐすねを引きつつ上昇と落下を螺旋にまぶし、分割した時間を得意げに敷き詰めては世界の成り立ちをその断面で二次元化していくのである。それが偶然か必然かなど無い知恵絞った頭のカスを片付けてから言いたまえ、時間を逆回ししてみればすべては一連なりであることが瞭然ではないかとうそぶく光と時間の支配者にしてゲームの主催者デ・パルマにあらかじめ選択肢を奪われた男クリスチャンは、世界にかしずく小市民の常として偽装された自由意志を燃やしては知らず誘導路をひた走り、ただただあの屋上を目指すのである。そうやって彼が成し遂げたことと言えば、ひとつの思惑を葬るかわりに新たな思惑の誕生を祝福することでしかなく、それをニヒルなどというのは君たち特有の感傷であって、世界は絶えずアップデートされていることになぜ気が付かないのだと、既にしてデ・パルマはその結末に興味を失っているのだ。いくつもの交錯する視点が身悶えするようにより合わされることで形をなす世界の変形と奇形をあげつらったところで、モルワイデ図法とメルカトル図法のどちらもが地球を投影していることに違いはなかろうよと意に介さない地図製作者の業こそが、デ・パルマを巨匠サロンから蹴り出したのは言うまでもないことは、テロリズムという縮尺で投影したこの世界地図の恍惚と酩酊とを見れば瞭然だろう。あれほど呆れ果てて立ち尽くすガイ・ピアースをワタシは見たことがない。
posted by orr_dg at 18:36 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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