2020年03月08日

初恋/みんな〜殺ってるか !

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開始早々のゴロリに放蕩息子の帰還を喜ぶというよりは、今さらこういう露悪をカムバックの証だと考えているのなら、少し肩透かしくらうかもなと思ったのも束の間、その直後、加瀬を演じる染谷将太の拗ねた天使のような顔つきを見たことで、ああこの役者がこのラインで進むつもりでいる映画なら望みのものに違いないと合点し、三池映画なればこそあふれだす度外視の時間を、懐かしさのその分を手練れの円熟としてその帰還を歓迎した次第となった。とはいえ、これくらい条件さえ整えばいつでも撮れるから単純に状況の問題だし、それを帰還とか言って俺があえて遠ざかってみたいにされるのは心外だけどな、とでもいう余裕と笑っていない目つきのないまぜを感じたのも確かなところで、むしろその不在に首をかしげるべきではあるのだろう。これ、やっちゃっていいんですね、という俳優の共犯性を匂わせることによる解放区の演出という、そうそう誰にでもゆるされない方法をなぞっては玉砕してきた死屍累々を散々目にしてきたとはいえ、この映画がその復権を謳い上げたというよりはどこかしら感傷めいた口ぶりを隠していないのは三池崇史の冷静な現状認識であった気もして、葛城レオ(窪田正孝)とモニカ/桜井ユリ(小西桜子)という若き逃亡者を助けるのが、権藤(内野聖陽)とチアチー(藤岡麻美)という実質的なアウトサイダーたちだけに宿る仁義という失われた矜持であったことに、撤退戦を生きるしかない世界の哀しみと閉塞を二重に捉えたように思ったし、だからこそラストシーンに差す仄かな幸福の明かりをハッピーエンドとする精一杯に誠実すらを感じたりもしたのである。かつてであれば、全面展開したであろう2度ほどあった頭部破壊はショットの影に隠れ、排泄とわいせつの露悪も狂乱の息づかいのうち!という悪ノリや悪ふざけも前述した映画のトーンを維持するために鳴りを潜め、かつてまみれた悪食の愉悦という点では退行に映るかもしれないけれど、たとえば自身のイメージで許されるイージーさを逆手にとった、例えば通りすがりの酔っ払った看護師に状況説明させてしまうでたらめによるオフビートの出し入れは巧妙だし、「おれの部屋に来るか」とレオがユリに言った直後にベッドシーンを想像させるシルエットのカットをインサートしつつ、実はそれがクスリを抜くユリの悶絶であったという意地の悪さなど、そんな風に真顔で嘘をついて舌を出すたちの悪さこそが、ワタシの思う三池崇史の嫡子たち、例えば白石和彌が手にしていない一点であるようにも思えるのだけれど、ここで三池崇史が久しぶりに見せた気兼ねのなさがクレジットに名を連ねるジェレミー・トーマスの豪腕のいくばくかによっているのだとしたら、では誰が未来のジェレミー・トーマス足り得るのかという別の行き先も示されてしまうわけで、それはそれで遠くを眺めねばならない気もしてしまうのだった。
posted by orr_dg at 20:56 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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