2020年01月10日

ロング・ショット/セックス、ドラッグ&ボーイズUメン

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オフィシャルサイト

理想を笑わずそして現実もあきらめない貪欲を清々しいとさえ感じてしまう時点で、ワタシたちはいい加減スポイルされてしまっていることに気づかされるし、それはグレタ・トゥーンベリが変人扱いされる世界の笑えなさとどこかでつながって、この映画から漏れ出す忍び笑いの多幸感はそんな時代を足蹴にする混じりけなしの正気をウォッカで流し込んで血管の隅々までめぐらせるその酩酊によっているのは言うまでもなく、すなわちこれが効かない相手は今後のアナタやワタシの人生から整理してしまっても差し支えないということになるだろう。どれだけ下ネタやドラッグネタでくすぐりを入れようとそれが露悪的にならないのは、そこを潜った上でどれだけ身ぎれいにして目は澄んだままでいられるかという2020年代の闘いの流儀としてそれらが描かれているからで、シャーロット(シャーリーズ・セロン)やフレッド(セス・ローゲン)の水平性と流動性が垂直性の支配に立てた中指なのは言うまでもないし、2人のロマンスを生餌に観客を誘いこむのは、すべてのシステムをカルチャーとして捉えなおすことで見晴らせる世界の広がりであって、政治もまたカルチャーであってビジネスではないと記した石つぶてをアゴを緩ませ開いた瞳孔で彼方へ雨あられと投げつけてみせる。フレッドはシャーロットによって狭量なセクト主義を、シャーロットはフレッドによってポピュリズムの轍を、それぞれがそれぞれを更新していく関係のそれゆえ避けられぬほろ苦さとそれがもたらす幸せの甘さは、この世界で人がよく生きるためのやり方が尽きることはないのだなあと、まさかこの監督&主演のコンビに人生の指針を示されるとは思ってもみなかったわけで、かつて最右翼かと思われたトッド・フィリップスがああやって一抜けしたとあっては、絶えて久しいチーチ&チョンの名跡がようやくのこと継がれた気もしたのだった。それがどれだかアメリカを痛めつけてきたかはともかくとして、ドラッグをカルチャーとして芽吹かせたその歴史こそがアメリカをアメリカという概念たらしめていることをあらためて思い知らされる。そこにとても冴えたやり方でさっと力を添えたシャーリーズ・セロンの頭抜けた嗅覚に相変わらずうっとりとしてしまう。笑う門には福来たるよ。
posted by orr_dg at 18:27 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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