2019年12月26日

スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け/死なばもろとも

star-wars--the-rise-of-skywalker_01.jpg
オフィシャルサイト

※もはやどうでもいいので思い切り展開に触れています

“見てみろ、この慌てぶりを。怖いのだ。怖くてたまらずに覆い隠したのだ。恥も尊厳も忘れ、築き上げてきた文明も、科学もかなぐり捨てて。自ら開けた恐怖の穴を慌ててふさいだのだ。”と大佐の言を引用してしまえばそれで済んでしまう気もしたのだ。センスはあってもそれはセンス・オブ・ワンダーになりえないことに絶望しワンダーを抹殺する人生に身をやつすことを選んだカイロ・レンの荒ぶるフラストレーションへと自身の屈託をしのばせたJJに、フランチャイズのリサイクラーとしてではない作家性を初めて垣間見た『フォースの覚醒』はその点においてスリリングですらあったし、強大な父を乗り越えるために要求される男らしさ=マチズモの支配する枠組みを解体するため、父殺しをしなければ更新されない世界を鎮めるべくフォースの持つ破壊と再生という側面を最後の父殺しレンと殺すべき父を持たないレイに分け与えた『最後のジェダイ』も、ならばとワタシは心穏やかに受け入れたのである。それがなぜ前作を恐怖の穴と唾棄し、応急処置のしかもマッチポンプとすら言えるつぎはぎで覆い隠したような、新たな地平を目指すつもりなど一切ない言い訳だらけの撤退戦に終始したのか、自ら産み落とした若者たちを信じることすらできず幾多の亡霊たちの力を借りては急場を凌ぐうち、亡霊その一のパルパティーンに至っては実体化をするどころかついにはレイの祖父すらを名乗り始める始末で、前作の「幻想にしがみつくのはやめろ!」というカイロ・レンの叫びがどれだけ虚しく響いたことか、ベン(カイロ・レン)とレイという均衡の双子かつ理力のソウルメイトにキスをさせるに至っては、JJの思春期朴念仁っぷりが『スーパー8』から何一つ成熟していないことすら晒してしまう始末ではなかったか。本来であればエピソードの半分は費やすべきレイの両親の出奔をほんの数カットで片づける逃げ足はまるで打ちきり漫画の最終回のそれとしか思えず「――すべて、終わらせる。」というのはまさに字義通りの意味だったのかと、四角な座敷を丸く掃く体裁だけの大掃除に、ああそう言えばほうきをスッと手繰り寄せたあの少年は今頃何をしているのだろうと彼方を見つめたりもしたのであった。とはいえ、そもそも語るべき物語などそれ自体が罪なのだとでもいう全方位マーケティングへの強迫観念的な奴隷労働こそは、キャンセル・カルチャーという時代の気分をヴィヴィッドに反映させた最前線の140分であったということになるわけで、ワタシたちの誰もが罪深いファントムメナスなのだろう。もはやストーリーに組み込むことすらあきらめたのか、昏睡するファンが今際の際に見た走馬灯にしか映らないイウォークを、ならばそっと後ろ姿にとどめおくことすらしない野暮がどこまでも念入りにとどめを刺してくる。
posted by orr_dg at 03:01 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: