2019年10月26日

イエスタデイ/微熱老人

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64歳を目前にしたダニー・ボイル(63歳)とリチャード・カーティス(63歳)がオアシスをなぶりものにして笑いをとりにいくこのコメディに、かつてザ・ストーン・ローゼズのデビューアルバムを聴いた渋谷陽一が「これってザ・バーズのコピーバンドじゃねえか」とか、口調はともかくそんな風なことを言ったか書いたかしたのを想い出したりもしたわけで、誰がどんなアレンジで歌おうが演奏しようがビートルズの作品がいかに無敵かというただそれだけを繰りごとのように綴るその挿絵としてスラップスティックなラブコメを添えてみましたという、仕事に飽きた演出家と脚本家による昼下がりの茶飲み話のような塩梅の映画であった。というわけで面倒な細部は周到に避けて通っているのは言うまでもなく、主人公が作品を再現するに際してのハードルは歌詞が思い出せないというレベルにとどめて天才たちの仕事としてのアレンジワークについては触れることがなく、たとえば「アイ・フィール・ファイン」のイントロをいかに再現するかといった、ジャック・マリク(ヒメーシュ・パテル)がそれなりのビートルマニアであったら直面する難題が描かれることはないのである。何しろこれだけふんだんにビートルズの作品を使用しておきながら、主人公の心情とマッチするドラマのツールとしてサウンド的かつ視覚的に機能するのが「ヘルプ」のみであったという点で、制作コンビがそれほどの知恵を絞っていないのは瞭然に思えたし、大団円でのウェンブリーにおける告白にしたところで、せめて「オー!ダーリン」でも熱唱してみれば場が持ち直すところを、とりとめのないセリフ語りと益体のないフラッシュバックでお茶を濁してしまう体たらくにワタシは態度を決めざるを得なかったのである。劇中で唯一フォーカスが合った気がしたのが、あの人の登場するシーンであったことを思うと、この演出家と脚本が本来すべきなのは彼らのアナザーストーリー、アナザーエンディングを夢想してみることだったのではなかろうかと思わざるを得ないし、ビートルズが存在しなかったらオアシスが存在しないどころか、そもそも喜びも悲しみも世界の気分そのものが斯様に押し広げられていなかったに違いなく、ビートルズの存在しないディストピアのエリー(リリー・ジェームズ)や誰も彼もがアナザーワールドの彼や彼女と寸分たがわぬ人々であったのがワタシはなんだか理解できないのだった。すべてのイギリス人はビートルズを好き勝手に弄り倒せるライセンスを持っていると言われればそれまでではあるけれど。というか、たぶん言うにちがいない。
posted by orr_dg at 23:22 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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