2019年10月21日

クロール −凶暴領域−/シーユーレイター、バリーペッパー

crawl_01.jpg
オフィシャルサイト

生き残れなかった者が受ける仕打ちに悪魔的な凄惨を叩きつけることでサヴァイヴァーの血みどろに聖性を宿してきたアジャが、ストーリーテラーとしての成熟や深化を手に入れることで映画の尺は次第に100分を超えはじめ、前作に至ってはついに人死にの瞬間でスイングする術すら手放してみせさえしたわけで、しかしそうした現状のステージに何らかの飽和を見てとったのか、ここにあるのは、果たして自分はまだ糞袋としての人間が片っ端から屠られていくサヴァイヴァーの物語を90分以内で撮り切れるのだろうかという挑戦とそれを征服していくことへの高らかな昂揚であったように思うのである。本来がアクロバティックなショットのケレンにこだわるよりは状況と情報の出し入れでリズムを作っていくセンスに長けた人なうえに、ここのところの緩急の手配を身につけた語り口も相まって、見せるものと見せないものの間にはりめぐらしたスリラーの質がとても豊かになっている。原題の”CRAWL”がダブルミーニングであることを早々に明かすオープニングからソリッドシチュエーションに捉まるまでの間に充分なドラマと感情を貯め込んでおいて、あとはそれを血のあえぎと共に途切れなく流し続けることでヴィヴィッドな息使いを失うことがないそのスリラーは、ヘイリー(カヤ・スコデラーリオ)渾身のカモンサナバビッチ!が魂の叫びとしてどれだけ響き渡ったかにも明らかではなかったか。アリゲイターを複数登場させることでモンスターとしてのキャラクター化を防ぎつつ、自分の尻ぬぐいだけでは済まされないヘイリーへの負荷のかけ方によってこれが最後までサヴァイヴァーの物語であることを見失わないシナリオも、躁病的でなく懐深いアジャのテンションに奏功していたように思う。いつのまにか楯突く側から楯突かれる側に移っていたバリー・ペッパーにメランコリーを滲ませつつも、父と娘の絆を最終兵器へと仕立てていく一瞬の狂気をコメディぎりぎりでドライヴさせるあたりのアジャには、やはりこちらがホームグラウンドなのではなかろうかと思わせる眼のきらめきが見てとれる気がしたし、とりわけ火事場泥棒のシークエンスは、湧き出すアイディアに小躍りしながら撮っているアジャの姿が目に浮かんだりもしたのだ。ヘイリーが手放さない手回し式の懐中電灯は、電池切れとかそんな雑なサスペンスに頼ったりするかよというアジャの自信満々のカウンターにも思えて、絶対絶命をはぐらかすようなキュルキュルキュルキュルという素っ頓狂な音が何ともチャーミングに鳴っていた。
posted by orr_dg at 22:33 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: