2019年09月12日

アス/はやくアメリカ人になりたい

us_01.jpg
オフィシャルサイト

※展開に触れています

時代の切実な反映は幸福や平和よりもそこに充満する恐怖にあらわれるにちがいなく、ならば恐怖を思想とするホラー映画こそが炭鉱のカナリア足り得て断末魔を響かせることができるのだとジョーダン・ピールは確信しているのだろう。得体の知れない存在を実在のものへと形作っていくことで恐怖の質を現在地に地続きにする点において『ゲット・アウト』の構造を踏襲してはいるものの、今作において急カーヴをきって激突するハンドルさばきのスリルとでたらめは不謹慎なものであったかのように控えめなスパイスにとどまり、それに代わってたぎるような怒りが恐怖に火を点けることで隠されてきた二重性が世界を転覆させようと這い出して来ることとなる。そうやって恐怖を外部に実在化させる点において、既に『ヘレディタリー』がスタンダードとなったあなたがあなたである限りその恐怖が止むことはないという実存のホラーとは対極にあるように思うけれど、今そこにある存在の不安が恐怖を先鋭化する時代の落とし子として、内外を横断する恐怖の質を語る直接性はホラー以外にその手段を持たないとする作家の登場は必然だったと言うことになるのだろう。今作はドッペルゲンガーという、ジャンルにおいてはメランコリックともいえる存在をボディスナッチャーに仕立てることで分断と下剋上の劇的な闘争を目指し、自分が自分を殺しに来るという殺戮のステージまではまるで前払いのボーナスのように血と暴力のスプラッタが大判振る舞いされて、以降でドッペルゲンガーの正体が明かされる本題の講義に備えよと着席を促されることとなる。『ゲット・アウト』同様、良からぬことは地下で行われるというわけで、地下からやって来たドッペルゲンガーの正体が明かされていくのだけれど、すでにイドの怪物でも残留思念体でもない血肉を備えた存在であることが明かされているドッペルゲンガーが、ある失敗した実験の置き土産として打ち棄てられたクローンであることが告げられるものの、地下世界の悪夢的かつきわめて抽象的な描写とあいまって、アデレード個人の闘争がいかにして未曾有の階級闘争へと変貌していくのか、それらが「メタファー」であることは重々承知の上ではあるものの、“クローンではない”彼女以外のクローンたちから血肉の厚みが奪われてしまっているように思えてしまうのは諸刃の剣といったところでもあるのだろう。火事場の馬鹿力に見せかけて切り抜けた『ゲット・アウト』に比べた時、この後で見せなければならないラストのあれに向けて真顔を保たなければならなかった点である程度の失速を監督は覚悟していたように思うのだけれど、それがもし「人間の鎖」運動が自明であるかどうかによる彼我の差ということであれば、ワタシはそこで詰めてた息を吐いた気がしてしまっている。とはいえラストのあれはダイトーリョーが作りたくて仕方のない例の壁のホラーモデルとして最高だったと思うけれど。
posted by orr_dg at 12:20 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: