2019年07月23日

チャイルド・プレイ&ポラロイド/ラース・クレヴバーグはイイ男

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オフィシャルサイト

人形にチャッキーが宿る経緯を知らせるオープニングのシークエンスで、あれ今回はオカルトじゃないやと少し不思議に思ったのだけれど、このリブートでは弱者の立てた中指から始まった話がアンディ(ガブリエル・ベイトマン)の屈託に結びつくことで、イドの怪物としてのチャッキーが思いのほかダークサイド・オブ・トイ・ストーリーの語り口に説得力を与えることとなっている。オリジナルでのヴードゥーを最新のAIテクノロジーに置き換えるアイディアもスマートだし、リブートされたチャッキー(マーク・ハミル)のファーストショットにコレジャナイと一瞬たじろぐも、その後アンディの指示であれこれ行われる百面相を眺めるうちにコレジャナイフェイスにも半ば強引に馴染まされていくこととなるわけで、そうした気の利いた過不足のなさは、かつて80年代にはその過不足さゆえのささくれが刺さったりカーヴで滑ったりすることで忘れがたい時間を過ごしていたことを思うと、そうした浮世離れがスポイルされてしまうように思えたりもするのだけれど、それよりはそれらささくれやカーヴですらを自明としてデザインする洗練を愉しむポスト/ポストモダンホラーの現在にあってはその過不足のなさこそが愉悦となり得たりもするわけで、嫌味でもなんでもなくこちらもそれを欲する体になってしまっていることにあらためて思い至るような、期待に応え期待をを超えるリブートとなっていたのは間違いのないように思う。シェーン(デヴィッド・ルイス)殺害時の、子供の悪戯のような仕掛けとアタックをあえて過不足上等のチープで粗いカットのままつなぐことによって人形の片言なリズムが弾け出すシーンには、このジャンルへの監督の健やかな偏愛がみてとれてクラシカルな香りすら漂った気もしたのである。劇中のTV映画フッテージが『悪魔のいけにえ2』であったのも、趣味の良さに加えて自分が撮っている作品への正確で冷静な理解がうかがえてワタシは握手をしたくなった。といった風にことさら実存めいたトリッキーなショットや長回しには興味がなさそうに見えたラース・クレヴバーグ監督なのだけれど、高いところから落ちたり吊ったりが4回ほどありそれぞれに死んでしまったり重篤なダメージを負ったりして見せ場を作っていて、人形のサイズや動きにさほどダイナミズムが生まれないその分のバランスなのかなあと思っていたところが、


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続けて鑑賞した『ポラロイド』でもやはり天井裏からの宙吊りやら階段落ちやら首吊りやらが端々にしのばされていて、この監督には垂直性へのフェティシズムがあることなどうかがえてさらに信用が増した気もしたのである。出世作となったこちらでもやはりこの監督の過不足のなさがツイストの強度をじわじわと上げていて、どんでん返しと言うよりは気がついたら背後に回られていたような感覚を見抜いてフックアップしたプロデューサーの慧眼はさすがであったとしかいいようがない。疎外された者がそれゆえに邪を引き寄せてしまい、因果応報など踏みにじるように善人も悪人も等しく屠られていく腰の座った筆使いは、飛び道具に頼らないストーリーテラーとしての地肩の強さもうかがわせ、アンドレ・ウーヴレダルとはまた声音の異なるノルウェーのホラーマスターとの邂逅に、ラース・クレヴバーグという名前を即座に頭へと叩き込んだのだった。
posted by orr_dg at 23:32 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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