2019年07月21日

GIRL/ガール〜飛ぶのが重い

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映画が始まるとすでにヴィクトルはいなくなっていて、かつてヴィクトルだったララがいかにして自分の真の姿と向き合い、バレエを生き方と発見し、それらのすべてについて周囲の理解を勝ち取ってきたのかは一切描かれておらず、この家族における母親の不在についてすら知らされることもないまま、バレリーナへの夢と性別適合手術に向けて足どりも確かに歩き出したララの揺るぎのない眼差しに彼女がまだ15歳の少女であることを忘れてしまいそうになる。とはいえララを見守る人たちはその眼差しを信じるしかないのだけれど、父親マティアス(アリエ・ワルトアルテ)も担当医師もカウンセラーもバレエ学校のクラスメートも知ることのないララ(ヴィクトール・ポルスター)の姿を、ワタシたち観客だけは誰もいないバスルームや彼女の部屋でひとり在るララの時間を共有することを許され、というよりは求められ、そこでは彼女の男の子として裸身はともかく、前貼りで真っ赤にかぶれた下腹や寝起きの朝立ちまでも知らされることとなる。そうやって準備された監督の視点によって、みんなは私を外から見て今でも充分に素敵な女の子だ、ゴージャスだとほめそやすけれど、まっ平らな胸や朝立ちだってしてしまうペニスを見てもそう言えるのか、あなたは思春期を楽しみなさいと言うけれど、私がどうやってその入口に立てると思うのか、心の底では内面は外面が連れてくることをあなた方は疑いもしないくせになぜ私には内面を先に求めるのか、とララが誰にも告げることのない不安と苦悩と苛立ちをほとんど暴力的といっていい圧力で共に体感していくことを求められるのだ。それらララの混乱は、すべての感情を肉体のフォルムで表現するバレエの修羅へと本格的に足を踏み入れることで、肉体の変容というオブセッションをさらに加速していくこととなる。とは言え、もしもターンしていてバランスを崩したら肩を前に入れなさい、そうすれば止まるから、という教師のアドバイスにうかがえるバレエの即物的なメカニックからすれば、あんな風に下腹部をテープで固めていたら繊細なコントロールのノイズにならないわけがないことくらいワタシのような素人にも瞭然だし、バレエが求めてくる肉体の書き換えに応えねばならないという焦燥が底なしに焚きつけるトランスジェンダーとしての彷徨によって彼女はあの選択へと追い込まれていったことを思えば、向かいのアパートの一室で行われる男女の交情を、今の私は実際のところあのどちらなのだろうと物憂げに眺めるララが、自分にとってペニスがどれだけ「他人」であるかを確認するため同じアパートの少年に行うオーラルセックスのシーンは15歳の聡明が行き先知らずに暴走する切なさが窒息しそうなほどに溢れて、ここまでずっとララの秘密を逃げ場なくぶちまけられてきたワタシたちにしてみれば、ララのたどり着いた結論にしたところで、来るべきものが来たという覚悟をそっと引っ張り出すだけでよかったことにさほど驚きもしなかったのではなかろうか。それは冒頭のピアスとの円環という容易さすらも可能であったのだから。それよりもワタシは、(髪を)切ったララがワタシたちを正面から見据え颯爽と歩いてくるラストショットの、もうこれからはあなたたちに用はないと言わんばかりの笑顔が、それをにわかには受け入れがたい気がしてしまったのも確かなのである。ところでバレエはあなたの捧げ物に満足してくれたのかなと。15歳のトランスジェンダーの絶望など知ったことではなかったあのバレエが。それくらいこの物語はバレエに借りがあるように思うものだから。
posted by orr_dg at 02:45 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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