2019年06月26日

ジョナサン−ふたつの顔の男−/おれに関するおまえの噂

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オフィシャルサイト

※展開にふれています。
あらすじだけ読むと最近のアンドリュー・二コルのようなチャラさが香るけれど、同じアンドリュー・二コルでも『ガタカ』に近い抑制の効いた好篇。

脳内に埋め込んだタイマーによって12時間ごとに人格を切り替えることで多重人格をコントロールする、という一歩間違えば着地で激突する設定のアクロバットを、そのテクノロジーの背景をSFとすることで自明とする語り口のミニマルで静謐なトーンも含め、いつしか沁み始めるその透明なメランコリーに『アナザー・プラネット』を思い浮かべたりもした。ジョナサン(アンセル・エルゴート)とジョン(アンセル・エルゴート)という2つの人格のそれぞれが過ごした12時間の出来事をビデオメッセージにして毎日互いに伝え合うことにより、自分の別人格と12時間越しの会話を行うアイディアが秀逸で、自分の人格が眠りにつく12時間の間は肉体すなわち生命を相手に委ねざるを得ない緊張と不穏が無言の抑止力となり、擬似的な一卵性双生児ともいえる関係が生み出す血の気の失せたサスペンスはエレナ(スキ・ウォーターハウス)という一人の女性の登場によってそのバランスが崩れ始め、どこかしら『戦慄の絆』めいた奇形のトライアングルをうかがわせるのだけれど、最終的にジョナサンとジョンが選択するのはこの物語のこの設定であればこその決断で、光と闇の出会う場所に灯される黎明と薄暮の明かりが同時に照らしたようなラストは、闇しか知らずに生きてきた者が初めて光の中に足を踏み出すというその一点において彼らの考えた最良のハッピーエンドであったということになるのだろう。ラストのシークエンスは、たとえばアルジャーノン的なメロウの情動も概ね可能ではあったにしろ、監督はそれまで狂わせることのなかった正確な歩幅と息継ぎを最期まで貫いていて、非常にケレンの効いた、というか効かせすぎた設定でありながらそのケレンに身を任せることをしないストイックな語り口を維持することで非現実のリアルの強度を高めていて、その辺りを文体のダンディズムとして内部に蓄えての長篇デビューなのだとしたらこのビル・オリヴァーという監督の幻視はかなり信頼できるように思うのだ。髪型ひとつで光と影を演じ分けるアンセル・エルゴートのヴィヴィッドで神経症的なまなざしを見るにつけ、彼はどちらかというと引き出されると繰り出すタイプであることを感じて、その点に無自覚なままタイプキャスト的なフィルモグラフィーに埋没してしまう一抹の不安を感じたりもした。
posted by orr_dg at 03:00 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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