2019年06月14日

スノー・ロワイヤル/その血で俺を温めろ

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オフィシャルサイト

沈痛な面持ちで死体安置所に立ち尽くすネルソン・コックスマン(リーアム・ニーソン)や刑事たちの前で、いちばん下のチェンバーに収容されていた息子の遺体は、おそらくは検死官がペダルか何かを踏んでいるのであろうキコキコキコキコという素っ頓狂な音を響かせながら、葬式でクスクス笑いをこらえきれない子供のいたずらのようにゆっくりゆっくりとカメラのフレームの中へせりあがってくるのである。普通に考えれば、カメラがとらえやすい真ん中のチェンバーから引き出された遺体の顔に息子を確認してネルソンが悄然とするただそれだけのシーンを、これから始まるネルソン・コックスマンの物語は澄ました諧謔とうすら笑いの悪意、あふれる緊張と垂れ流される緩和をスパイスで味付けしてお出ししますという粋な能書きに仕立て上げた監督のセンスに、ああもう今日はおまかせでお願いしますという気分だったのである。雪の中、真顔で走り回る悪党たちが家に帰るかのように淡々としかし奇天烈に死んでいく白昼夢はどこかしら『ファーゴ』の痙攣するオフビートに通じる気もしたし、死がジョークでしかない世界にあってはもはや駄話以外する気はないねというある種のダンディズムを遂行するために、ならば駄話の通じないキャラクターは邪魔ものでしかないとばかり妻グレース(ローラ・ダーン)ですらをあっさり途中退場させては、ネルソンにしたところでそれをことさら気に病む素ぶりも見せることもなく、そうやって良心の呵責や不謹慎とかいった浮世のくびきから解き放たれた男たちは鉛玉を使った雪合戦に真顔で興じ始め、ネルソンの復讐劇もまたその風景の一部でしかない、いい大人たちのよくない生態が慈しむようなペーソスで描かれていくわけで、それらのすべてがくだらないとばかり出ていったグレースだけが真人間だったということになるのだろう。それはすなわち、真人間の中の真人間として表彰すらされたネルソンの反乱であったともいえるわけで、これを一人の男が自身のミッドライフクライシスを打破する物語として捉えてみた時、ラストに吹く風の優しさが少しだけ身に沁みるようにも思ったのだ。監督の提示する抑制された含み笑いの意味を理解した役者たちはみなそれを心地よさそうに演じてさわやかですらあるのだけれど、なかでもネルソンの兄ブロックを演じたウィリアム・フォーサイスのアメリカン・ノワールそのものとしかいいようのないまなざしや佇まいが相変わらず絶品で、まるで、結局は割に合わない死に方をするエルロイ作品の準主役がページから転がり出てきたようだし、そんな風にして彼がいつの日かマイケル・マドセンの手にかかって惨殺される瞬間をワタシは夢見て止まないのである。
posted by orr_dg at 21:08 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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