2019年05月27日

ガルヴェストン/嵐に呼ばれた男

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オフィシャルサイト

日の沈んだ世界しか知らぬ男が、ガルヴェストンの浜辺で目を閉じ陽のぬくもりを感じながら人生のあしらいに想いをめぐらし、傍らではいまや彼の守護天使となった娘がありがとうと微笑みかけて、俺は幸福に嫌われていたのではない、俺が幸福を遠ざけていただけなのだとそれを知る。ならば手遅れな俺にできるのはこの幸福をこの娘に繋げてやることだと決めた瞬間、寄せては返す波のようにそれは彼の手を離れ、果たしてそれは良い夢だったのか悪い夢だったのか、答えを知るために彼はひとり20年を過ぎてガルヴェストンで待ち続けている。40歳のヤクザなロイ(ベン・フォスター)と19歳の娼婦ロッキー(エル・ファニング)が出会い、しかしそこには愛も恋もセックスもないただ互いを思いやる感情のつながりだけがあるという絵空事のような物語を、だから私はその絵空事が正解になる世界を撮ることにしたのだというメラニー・ロランの強くて柔らかいしなやかさが、すでに血を流しすぎたノワールを子守唄のように寝かしつけていく。ロイのそれはある決定的な誤解によってはいるものの、自分に残された生を凝縮することでそれを俯瞰する視点を持ち始める主人公の孤絶は『25時』を想い起こさせると同時に、ロードサイドの逃亡者となった彼らが漂泊するアメリカの原風景を辿ってみれば、まず最初に出くわすのは『セインツ ‐約束の果て‐』であった気もして、そこでもベン・フォスターはあらかじめどこへも行くことを許されないまま誰をも抱きしめずにいたことを想い出さずにはいられないのだ。それら引用するタイトルからも明らかなように、メラニー・ロランが描くのはアメリカン・ノワールの自滅して下降するセンチメントというよりはフレンチ・ノワールが放つ自己愛による甘い腐臭により近いように感じられて、ならば94分というタイトに刈り込まれた時間にあと10分ほど追加してみることで、いったいこれがどのような物語の途中であったのか見失うくらいに、モーテルで過ごす無為で倦怠したそれゆえに自由な日々を描いてみせるべきではなかったかと思ってしまうのだ。若いチンピラとの絡みなど距離の詰め方と不穏の醸造がいささか性急すぎて展開のための手続きといった感がぬぐえない気もしてしまったし、せっかく魅力的な陰影をつけたモーテルの管理人が特にロッキーとの関係性において生かされていないのはいささかもったいなく感じてしまった。それにしてもエル・ファニングである。自分がとても優雅で美しいことに気づかないまま、どうしていつも私は撃ち落とされてしまうのだろうと首をかしげる一羽の鳥の哀しみが年を増すごとに彼女の艶となっているようで、うかつにキャスティングすると映画が奪われてしまう危険な女優になりつつある気すらしてしまう。どうにも忘れがたいラスト、俺には正直でいろ、そうすれば俺もおまえに正直でいる、とロッキーに約束したロイは、夢の答えを確かめた後で、ハリケーンの上陸を待っていたかのようにひとりあの浜辺へと歩を進めていくのだ。虐げられた者たちへの祈りにも似た、血を吐くようなロマンスをあなたに。
posted by orr_dg at 01:21 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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