2019年05月19日

オーヴァーロード/気分はまだ戦争

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オフィシャルサイト

ことさら冷えたわけでもない何なら水道の水を心ゆくまで飲み干したようなこの満足感は、おそらくこれがMCUの構造的欠陥ともいえる助ける者と助けられる者が交わす熱視線が縦横にめぐらされた英雄譚であったからだろう。ノルマンディー上陸作戦の先兵となったある空挺部隊が戦場におけるアマチュアとプロフェッショナルの危ういバランスの上でぐらぐらと揺れつつそのスイングを利用して、キャプテン・ナチスを誕生させんとするヒドラを壊滅させるこの物語において、アマチュアであるエドワード・ボイス二等兵(ジョヴァン・アデポ)とプロフェッショナルとしてのルイス・フォード伍長(ワイアット・ラッセル)がそれぞれに抱く「良心」のぶつかり合いが物語の推進力となって目的に向かい収束していくその構造をスティーヴ・ロジャースとトニー・スタークの黄金比に重ねてみれば、MCUでは語りきれない小さな大義がもたらす自己犠牲を心ゆくまで描くことで湧き出す浄化こそが、冒頭で述べた望外の満足感に繋がったのだろうと考える。そしてそれをなお可能にしていたのは、「良心」が容易に戦争を断罪してしまうことのないよう戦争映画としての装甲を徹底して強化していたことにもよっていて、敵地へ降下するまでのオープニングシークエンスでいきなり観客を阿鼻叫喚の地獄絵図に放り込み、生き残るためには手段を選んでなどいられない戦場の論理を全身になすりつけることでサスペンスの発火装置としての「良心」を弄び始める手口は非常にスマートだし、それを維持する(という建前もあって)ための暴力およびゴア描写をてらいなく加速させていくアイディアとそのサービス精神には胸が熱くなるばかりだったのだ。「良心」の命ずるままに迷走するボイスが、自分が蘇らせてしまったチェイス(イアン・デ・カーステッカー)の頭部をスイカでも潰すように粉砕して錯乱するシーンを合図に、「良心」の十字軍となった彼らとクロエ(マティルド・オリヴィエ)がナチスを虫けらのように血祭りにあげる怒涛の終盤と、ついには秘めた「良心」を全開にして「悪意」と一騎打ちするフォード伍長の侠気が打ち上げる花火の豪気、わたしは自分がわからないと眼を伏せたクロエが火炎放射器でぶちまけた焔に見つけた自分、そして止むことのない爆風を追い風に暗闇を走り抜けるボイスは光の中に飛び出していき、計画通り連合国はノルマンディー上陸を果たすこととなる。といった風に「良心」と「悪意」を消費する戦争エクスプロイテーション映画がなぜこれほど痛快で爽快なのか、MCUが様々に厄介な手続きをふみつつそれを食い止めてきた理由があらためてわかる気がしたようにも思うのである。暴力も戦争も初めから我々と共に在ったものだ、言うなればお前らの神がお造りになったものだ、崇拝しないでいいものか、とコーマック・マッカーシーが「ブラッド・メリディアン」の中で吐かせたあれは、やはりとても厄介だということなんだろう。
posted by orr_dg at 20:36 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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