2019年05月01日

幸福なラザロ/ただしくてかなしい

Lazzaro_Felice_01.jpg
オフィシャルサイト

無垢と善性の象徴として立つラザロ(アドリアーノ・タルディオーロ)であるけれど、若きタンクレディ(ルカ・チコヴァーニ)の目には、母であるマルケッサ・アルフォンシーナ・デ・ルーナ公爵夫人(ニコレッタ・ブラスキ)は村人を搾取し、その村人たちはラザロを搾取するという構造の最下層にいるように映るのである。インヴィオラータ(=汚れなき村)の名で語られるその村自体はそうした搾取の構造の中にあるものの、ある酷薄な理由で世俗から隔絶され続けたことにより、経済や政治のシステムがもたらす格差とそれが培養する悪意から結果的に身をかわすこととなっていて、それゆえ誰に対してもノーと言うことをしないラザロが剥き身のままそこに在ることが可能なわけで、そうやってラザロは村にとっての炭鉱のカナリアと守護天使を兼務していたように思うのである。しかしラザロはタンクレディという清濁を泳ぐ者と出会うことで世界の思惑に感染してしまい、そうやって守護天使を失ったインヴィオラータの村も公爵夫人のシステムが崩壊することで新たな搾取のシステムへと地すべりすることとなる。劇場内で少なくとも2人の「あっ」という声が聞こえたあのシーンを経て、狼に乗って時間と距離を超えたラザロは渓谷の寒村から大都市の只中へと歩を進めていき、都市の片隅へと追いやられたインヴィオラータの村民たちが身を寄せ合うコミュニティは、ラザロという守護天使を再び押しいただくことで、アントニア(アルバ・ロルヴァケル)は再会したラザロにひざまずきさえする、かつての親密さと活気をつかの間取り戻していくのだけれど、年を重ねてより倦んだタンクレディ(トンマーゾ・ラーニョ)との再会がラザロの歩みを止めてしまうかつての構図が再び繰り返されることで、ノーと言わない人であるラザロはノーと言うことで維持される無慈悲なシステムに打ち倒されてしまうこととなる。ここに現れる狼は知恵と力の象徴で、人間と世界の間を行き来しバランスを発生させる存在でもあるのだけれど、その狼が斃れたラザロに他の人間にはない「善人の匂い」を嗅いだことで、この人間を維持することで保たれるバランスがあることを識った狼はラザロを立たせ目的地までを導くのだけれど、そこでラザロの身に起きたことを見届けた狼は、今度は斃れたラザロの匂いを嗅ぐこともないまま、この善人をお前たち自らが失ったことだけは忘れないでおけよと言い残すような一瞥をくれた後で行き交う車の間を「ラザロの匂い」だけをまとって走り抜け消えていってしまう。映画が始まり、最初にラザロを目にしてからずっとつきまとう落ち着かなさは、いつか彼が手ひどく傷つけられることの予感に他ならず、それがこの寄る辺のない世界で善を貫いたまま無傷でいられるはずがないというしたり顔によっていることを承知すると同時に、自分が彼を傷つける側の人間であることに気づいているからこそうろたえてしまうのだろうことも告白してしまいたい。しかしそうしたワタシのような人間が途方にくれてしまうことなど百も承知であるからこそ、監督はラザロの道行きにああした結末を用意したのではなかろうか。ラザロになれない者はラザロが斃れることのない世界の一部として生きようと決めればよいのだと、狼であるアリーチェ・ロルバケル監督は言ってくれている。
posted by orr_dg at 23:47 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: