2019年03月25日

キャプテン・マーベル/ここは退屈迎えはいらない

captain_marvel_01.jpg
オフィシャルサイト

アクセル・ローズの音楽的な貪欲と渇望が他のメンバーのアメリカン・バンドな倦怠と退廃には噛み合わず、例えばナイン・インチ・ネイルズ的なインダストリアルへの接近(UYI ”My World”)をバンド分解のきっかけとするならば、かつてアクセル・ワナビーだったキャロル(ブリー・ラーソン)がNINのTシャツを着ることの意味は止められない野心の象徴としてうなずけるところも大きかったのだけれど、ではNINのTシャツを脱いでいまやキャプテン・マーベルとなったキャロルが着たTシャツが何だったのか、もうそんな風に心穏やかに落ち着いて聞き分けよく丸めてしまうのかと少しだけ落胆したのは確かで、結局のところすべては90年代の“いなたい”ノスタルジーをあるあるとしてあげつらうだけのブロックバスターやラジオシャック、AOLやWindows95、CRTディスプレイと同じように貼りつけられたステッカーに過ぎなかったのかと、ジャケットだけにとどまるPJ ハーヴェイにもなんだかモヤモヤしたのである。キャロルの発現をガラスの天井の破壊へとつなげるコンセプト自体は今語られるべき物語としてスマートにフィットしているだけに、そうした真顔を冗談めかしたオフビートでさらに反動をつけるそれなりの手練手管が求められる語り口としては、必ずしも諸手で成功を祝えるようには思えなかったのが正直なところ。手かせが外れた瞬間のウッシャア!と弾ける表情や、不機嫌と屈託をねじ伏せる目つきの鈍色に光る色つやなど、バストアップで捉えるブリー・ラーソンは文句なしにはまり役なのだけれど、近接の格闘アクションになると途端に顔の見えないカットが増えてしまうこと(しょっぱなのジュード・ロウ戦)や、ロングショットでのスタンドインによる動きとの明らかな落差など、MCUにモダンな説得力を与え続けてきたアクションの肉体性という点では前述した90年代的いなたさがキャロルを覆ってしまう気がするのも確かで、予告篇で流れたMIBの新作を格の違いで圧倒しない違和感と地続き感はその証左に感じてしまう。ブリー・ラーソンが新たな神として適役でチャーミングなのはまったく異論のないところなのだけれど、その彼女をおさめるのがハッピーデイズのランチボックスだったというハズし方に、これがそういうクスクス笑いの中和が要る話なのかどうか、何だかもったいなくて思えてしまって仕方がない。なんと言っても、PJ ハーヴェイのセカンドがリリースされたのが1993年だから、たった15年の間にニック・フューリーがああまで変貌してしまったことが一番の驚き。いったい何があった。猫の毒がまわったか。
posted by orr_dg at 21:18 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: