2019年01月08日

シークレット・ヴォイス/喝采

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未体験ゾーンの映画たち2019

好きなドレスをどれでも一着あげるわ、とヴィオレタ(エヴァ・ジョラチ)に言葉をかけたリラ・カッセン(ナイワ・ニムリ)の、ドレスを選ぶヴィオレタを背後から見つめるその目つきにみなぎる異様な妖しさは、まるでヴィオレタがあのドレスを手に取るよう催眠術をかけていたかのようでもあったし、ヴィオレタはといえばあのドレスを選んだ瞬間その運命は既に仕上げられていたように思うのである。そもそもヴィオレタにすべての秘密を告げたリラの記憶はいつ戻っていたのか。母を失ったその時リラの前に現れた庇護者ブランカ(カルメ・エリアス)の退場は、YouTubeでヴィオレタを見つけた瞬間に決まっていたのかもしれず、ならば原題 “QUIEN TE CANTARA= Who will sing to you(あなたに歌うのは誰)”を物語に均してみる時、リラにとってのヴィオレタはかつての母の代わりに歌う人となったのは言うまでもなく、2人が邂逅したことで形作られていく円環の運命は次第にヴィオレタにとっての呪いへと姿を変えて、かつて秘密を守るためにリラが母親にした同じことをヴィオレタが娘マルタ(ナタリア・デ・モリーナ)にするのも最早必然でもあったのだろう。ただ、リラ・カッセンからヴィオレタ・カッセンへと生まれ変わったステージを見届けて劇場から立ち去るヴィオレタがあのドレスを着てひとり行う儀式の意味は、リラ・カッセンという運命への永遠なる忠誠というよりは、むしろその呪いからの逃亡であると同時に、打ち棄てられた夢や希望を喰いながら歌い永らえるリラという無自覚な怪物への鎮魂であったようにも思うのだ。前作でも押し殺したような映像の圧力を高めていた「目の力」はリラの虚無とヴィオレタのメランコリーを合わせ鏡のように増幅させて終始息が苦しく暴力的で、善くないことに向かってしかしそんなつもりは一切ない人がまるで祈るように歩を進めていく時に漏らす恍惚がこの監督の作品には満ち満ちているのだけれど、それが単なるペシミスティックに染まってしまわないのはそれらがすべて理性の結果として選ばれているからなのだろう。2+2=4という真実を4のみを描くことで実証していくアクロバットに陶然とした前作に比べ、今作は2=2という真実を入り乱れた2で実証する幻惑に徹したこともあって直打ちの即効性には対応していないけれど、カルロス・ベルムトという監督が映画=物語ること、というオブセッションに忠誠を誓っていて前作が気まぐれやまぐれの産物ではなかったことを逃げも隠れもせずに証明してみせた上に、およそ20年前完膚なきまでに心奪われた『アナとオットー』で虜になったナイワ・ニムリとの再会というダメ押しには歓喜すらしたし、彼女の演じるリラが一番好きな映画として挙げるのが新藤兼人の『裸の島』であるという、いったい誰にぐうの音を出させないつもりなのかも知らぬ書き込みにワタシはぐうの音も出ないままなのだった。
posted by orr_dg at 03:10 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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