2018年12月28日

アリー スター誕生/世界にぶら下がった男

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オフィシャルサイト

ジャック(ブラッドリー・クーパー)が幾度となくアリー(レディー・ガガ)に言う「君はそのままでいい」といったような言葉は、これがスターダムに倦んだ男とスターダムに駆け上がる女の交錯が生み出す運命の光と影の物語であることを思えば、スターダムの虚飾に対するアンチテーゼからジャックにとってのアリーが始まったと見るのはたやすいし、それを裏打ちするかのようにアリーは父ロレンツォ(アンドリュー・ダイス・クレイ)と同居する実家の自室にキャロル・キングのアルバム(「つづれ織り」)ジャケットを飾っていたりもするわけで、観ているワタシもごく自然にアリーの目指すのはキャロル・キング的な自己実現なのだろうと思っていたし、ジャックの「君はそのままでいい」という言葉もアリーの容姿のみならず音楽のスタイルとしてのRAW&NAKEDを示していたように受け取ったものだから、それを互いが抱きしめあった2人の蜜月時代が音楽映画のエモーションとして最高潮であったのも当然ということになる。したがって、レズ(ラフィ・ガヴロン)のオファーにしっぽを振って飛びつくアリーに、私の面倒を見るのはあなた達でなくていいのかとジャック&ボビー(サム・エリオット)に気を使うこともなく、あるいは本当はそうしてほしいのにジャックとボビーの相克がそれを受け付けない悲しみが描かれることもないのにはなんだか拍子抜けしてしまったのだ。いまだ父親と同居しているという設定がそれを匂わせたりもするのだけれど、父ロレンツォのスターダムに対する憧憬といくばくかの屈託がアリーにスターダムを正解とする生き方を染み込ませてきたのも確かであっって、アリーという人の野心のありかがワタシには今ひとつピンとこなかったとなれば、彼女のスターダムへの駆け上がり方よりはジャックの階段落ちが映画を支配してしまったのもやむなしということになるだろう。ブラッドリー・クーパーについては、以前“そうありたくてもなれない自分への憐憫とその憐憫を餌に生きている自分に気づく程度には頭が回ってしまう哀しさの質で、この人は“〜くずれ”とでも言ったやさぐれ方がしっくりくるように思える“と書いたことがあったのだけれど、ここでの彼は既に何者かであることによりそのくずれ芸は封印せざるを得ないながら、メランコリーの目薬をたらしたかのような青い瞳の焦点をうつろに泳がせては、ストレートな転落芸を余裕のアレンジで演じきって圧倒的ではあるのだけれど、耳の病気や父や腹違いの兄との相克などあれこれパラシュートをつけてしまい転落のスピードが鈍ってしまったことにより、図らずも遠ざかるアリーのスピードまでもがスロウダウンしてしまった点で、この映画の自爆するセンチメントの爆風がいささかマイルドに収まってしまった気がしてならず、要するに誰もクズになりたがらなかったように思えてしまうのだ。そして何より、自分の愛するバンドやアーティストのライヴでフロントマンのガールフレンドにアンコールを務めさせるステージとか勘弁以外の何ものでもないし、それを美しい瞬間として受け入れるのは少しばかり難儀だなあと思ったのだ。ブルース・スプリングスティーンがパティに歌わせる、ポール・マッカートニーがリンダに歌わせる、といったアンコールを想像してみればそれなりに破壊的な状況であることが想像できるのではなかろうか。トム・ウェイツが無名のリッキー・リー・ジョーンズに歌わせたとしても果たして笑っていられるかどうか。
posted by orr_dg at 00:59 | Comment(2) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
明けましておめでとうございます。
2018年はあんまり映画を観られませんでした。

お店で流す音楽には、かなりの気を使います。
いいなと思っても、実際に流すと合わないことが多々あります。
リッキー・リー・ジョーンズ
とても合います。
三十代くらいの方たちは、知らないのにしっくりくるようです。
Posted by セイ at 2019年01月08日 11:28
セイさん、あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします

お店のBGMは、特にヴォーカルものは難しいですよね
リッキー・リー・ジョーンズのちょうど良さからすると
ジョニ・ミッチェルでは少しばかり当たりがきついんでしょうね
トレイシー・ソーンあたりはやわらかで凛としてワタシは大好きです
Posted by at 2019年01月08日 19:57
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