2018年12月13日

パッドマン 5億人の女性を救った男/きみはちっとも悪くない

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オフィシャルサイト

きみの笑顔が見たいだけさ、という幸福の追求がかくもアナーキーなシステムの更新を成し遂げる物語の、まずはその不幸なシステムが西暦2000年を過ぎて横たわっていたことに驚きはするものの、その笑顔を阻み続ける魑魅魍魎がいまだこの国を含めた世界中に跋扈している様は毎日嫌でも耳に飛び込んでくるわけで、ラクシュミカント・チャウハン(アクシャイ・クマール)が狂人扱いされればされるほどそれを促す側の狂気が浮かび上がっていく寓話の饒舌は、それら不幸で残酷なシステムの存在を笑顔で糾弾しているに他ならない。そうやって一念岩をも通すなぜなに坊やラクシュミが成し遂げたのはフェミニズムの革新がそのままフェアトレードのシステムを確立させていく弱者の産業革命ともいえるもので、そのドミノ倒し的な痛快と爽快こそは、この世界がそれをいかに待ちわびていたか、そして本来あるべきものが今までずっとそこになかったことの証ではあるのだけれど、劇中でラクシュミを率先して嘲り嫌悪するのが女性であったことや、彼女たちにそうさせる恥の概念を植えつけてきた歴史を考えてみた時、ラクシュミがパリー(ソーナム・カプール)のもとを去ってガヤトリ(ラーディカー・アープテー)のところへと戻る理由、すなわち、これからのインドの女性はもう泣かなくていいこと、生きるのを恥じる必要はないことをそれそれが目の前の1人に伝えるところから始めねばならないというその責任を観客に託していたように思うし、聡明に開かれたパリーが目に涙を浮かべながら言う「彼はこのままここにいたらつまらない男になってしまう」という言葉は、歴史の罪を負うべき人としての男性に向けたメッセージでもあったのではなかろうか。道化を演じるラクシュミの陽気なコメディの振る舞いはしばしば笑いの不発を誘っているように映るのだけれど、そもそもこの映画が奮闘しているのは笑えない状況を笑顔で伝えるその一点にあることを思い出してみれば、希望と絶望が交互するその泣き笑いの表情こそがこの映画の息づかいであり、彼を笑い飛ばせるほどワタシたちは無傷ではないことに次第に気づかされていくように思うのだ。ガヤトリの対照として在るパリーを演じたソーナム・カプールの、ジェニファー・オニールを思わせるモダンでスマートでしかしそれを嫌味としてはならない美しさがこの映画を一方で引き締めている。
posted by orr_dg at 18:01 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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